2010年04月02日

ETCマイレージ廃止へ、上限料金制の導入で

4月2日3時23分配信 読売新聞

 政府が、6月から高速道路の上限料金制度を試行するのにあわせ、自動料金収受システム(ETC)搭載車を対象に通行料金に応じたポイントを与えている「マイレージサービス」を廃止する方針であることが1日、わかった。

 休日の「上限1000円」や深夜の割引など、現行の割引制度を廃止することに伴う措置だ。

 マイレージサービスは、通行料金50円ごとに1ポイントがたまる仕組みで、一定のポイントがたまると通行料の割引にあてることができる。東日本、中日本、西日本の各高速道路会社の場合、100ポイントで200円、1000ポイントで8000円分の割引が受けられる。割引率は4〜16%となる計算だ。

 ETCの普及を促すため、旧道路公団の民営化を前に2005年4月に導入された。廃止されれば、上限料金制が導入されても、近距離を頻繁に走ってポイントを稼いでいた人には、実質的な値上げとなる。廃止より前にためていたポイントは使えるようにするが、100ポイントに満たない端数は無効とする見通しだ。

 新たな上限料金制度は、軽自動車1000円、乗用車2000円、トラック5000円とする案が有力。 .最終更新:4月2日3時23分
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2010年03月13日

回想

 ふと昔のことを思い出す。

 私が、結婚して七年が過ぎようとしていたころのことです。 私と妻が口論となり、感情的になった私はリビングの戸を叩いた。私も妻も感情むき出しで自分ではもうどう仕様も無い状態だった。

 その時、長男が(当時六歳)が妻に向かって言った。 「ねーママ、パパが可哀相だよ、手から血が流れているよ」と・・・・

 私はその場にいれなくなって家を飛び出した。

 そんな記憶を今になって何故か思い出した。 彼は子供ながらに冷静にその夫婦喧嘩をみていたのだろうか。手から出血していた私を可哀想と言った。 私などダメ父の見本ではありますが、彼にとってどんな父であろうとも彼にとって、私は父なのだと気づく。それだけではなく、絶対的に母のことのほうが好きなのにもかかわらず私の心配をしいる。子供にとって一番嫌であろう夫婦喧嘩の中で。そして彼のおかげで夫婦喧嘩という戦争は終焉をむかえた。 六才児からしてみればとてつもなく大きな相手にもかかわらず・・・。

 子供から教えられることは多い。 子供によって親はすくわれているのかもしれない。 そしてまた親の業を子供は嫌でも背負っていく。そこに選ぶ権利などない。 どんな親でも絶大な影響力があることを自覚し忘れてはならないとおもった。

 親という絶対的に影響力をもっていることをおもうと恐怖感に襲われる。 私の振る舞いが大なり小なり、良いことも悪いことも平等にそのまま影響してしまうことを自覚し私は背負っていかねば子供にたいして申し訳ない。子供はそれ以上のものをせおっているのだから・・・。
 
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2010年03月04日

石井一議員、口利き否定=「面会日」はゴルフ場に−厚労省元局長公判・大阪地裁

3月4日11時0分配信 時事通信

 障害者割引郵便悪用事件で、虚偽有印公文書作成罪などに問われた厚生労働省元局長村木厚子被告(54)=休職中=の第11回公判が4日、大阪地裁であった。民主党の石井一参院議員(75)=当時衆院議員=が弁護側証人として出廷し、自称障害者団体側の依頼で同省に口利きしたことは「まったくありません」と否定した。
 検察側によると、石井議員は2004年2月、元秘書で自称障害者団体「凛(りん)の会」元代表倉沢邦夫被告(74)と面会。証明書発行に向けた口利きを依頼され、厚労省障害保健福祉部長(当時)に電話したとされる。
 これまでの公判で、倉沢被告は「面会は2月25日午後1時に衆院議員会館で」と証言。しかし、石井議員は同日の日程について「朝早くから夕方まで同僚議員らとともに千葉県成田市のゴルフ場でプレーした。議員会館には入っていない」と述べた。弁護人は議員の手帳にあるゴルフ場名やスコアの記載を示した。 
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2010年03月03日

父の癌

 先日から父の身体の具合が悪く病院で検査しました。 
 検査結果は肝臓の数値が悪くCTやMRIから、胆管(肝臓から十二指腸まで胆汁を運ぶ管腔構造物の総称である)の途中で胆汁の流れが悪くなっていて、結石か癌でしょうとのことでした。 そしてその他の検査結果で判断するに95%の確率で癌と告知をうけました。
 しかしながら、早期発見でステージ1か2なので手術で切除すれば完治の可能性は高いそうです。 その手術自体は場所的に内臓の奥にあるらしく手術的には難しいと。
 その告知を、父と母と妹と立ちあいました。 父は少し落ち込み、母と妹は動揺していました。 私は意外と平静をたもてました。実際助かる可能性は高く、まだ死んだわけではなくて、今生きているし、これからどう癌と向き合うかが大切なのだからと思った。

 今、そのことを振り返って、父は後どれくらい生きるのだろうか?とか、今までの父との思い出や、父に親孝行できるのも時間があまりないことや、父の癌によって母や兄弟への影響の心配や、手術に向けての様々な準備など考えています。 
 
 私の中に悲しみや悲嘆はなかった。恐怖もなく、何が出来るのかしかなかった。 実際私の部長の父は余命6ヶ月の告知をうけていて、その中で戦っていて、世の中にはもっと過酷な状況下で苦闘している人もいるわけで、むしろ現状、可能性がある事実へ感謝し、そうおもえるようになったこの信仰への感謝です。今素直に父へ親孝行したいと思えることが奇跡だから。
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2010年02月19日

追伸 あるメンバーさんのお母さん

 あるメンバーさんのお母さんは無事手術を終えました。

 資金面もなんとかなりました。

 手術は、カテーテルという血管の中に細い管を通し詰まっている血管を血が通るようにし、今回は血管が石化していたみたいで、その管の先に小さなダイアモンドの葉がついたドリルみたいなやつで、その石化した血管を内側から削ったみたいです。

 今、お母さんは、メンバーさんの家にいて、話を聞くと、太ももの大きな血管から管を入れるみたいで、それがすごく痛かったと言っていました。
 それから、 お母さんの好きな和菓子を買ってきて、それを渡すと、メンバーさんから、今、母ちゃんは血圧が高いから和菓子なんかだめだよ と怒られてしまいました。 

 そのやりとりを見ていたお母さんがほのぼのした笑顔で見ていたのが印象的でした。 

 これから、まだ血圧も高く、油断はできない状況ですが、お母さんの幸せを祈りつつ縁していきたいとおもいました。

 題目を送っていただいた同志の皆さんには本当に感謝しております。
 お母さんとメンバーさんから、ありがとうございました とのことでした。

 ありがとうございました!
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2010年02月02日

公明、太田前代表衆院選へ

 公明党は2日、夏の参院選比例代表での擁立を決定していた太田昭宏前代表(64)を次期衆院選に立候補させる方針を決めた。(産経新聞)
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2010年01月30日

創価学会のCM

公共の電波が創価学会のCMを解禁するのは問題じゃないのか

創価王道


 たまたま、昨夜創価学会のCMを見た。 私はその時に違和感を感じた。 なんだろうか・・・この違和感としばらく考えた。 そのCMを見たときに私はSGI提言を読んでいた。 なにかその提言とCMとがミスマッチに思えた。 そもそも、CMは資本主義社会の象徴と言ってもいいようなものだと思う。 その提言には資本主義社会の根源的なことについて語られている。 相反するそれは矛盾でしかないのではと思った。 
 なぜにCMを流すのであろうか? 私たちが真剣に地道にやっている広宣流布をおとしめる結果にならないだろうか。 創価王道にもかかれているように、CMには莫大な資金もかかります。 私も無冠の友に還元するのが先だとおもう。 若しくは聖教新聞や書籍をもっと安くしてもらいたい。 
 私はこのことは納得できないので物申していきます。
posted by 元 at 11:59| Comment(13) | TrackBack(0) | 創価学会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月18日

不自由

不自由な心には沢山の見えない糸が絡みついている。

それは、感情という糸、欲望という糸、環境という糸、常識という糸、記憶という糸、様々な糸が絡みついている。

その糸はロープや鎖かもしれない。

だから、不自由なのだ。

自由になりたいから、もがく。余計に絡まってしまう。

絡まってしまうから、一本一本ゆっくり丁寧に解いていかないといけないのだ。

めんどくさいけど、疲れるけど、いやになるけど。

解く途中で諦めたくなる。そんな時は、諦めてみる。

でも、すぐまた、不自由を感じるから、それが1番いやだから、解かねばとおもう。
posted by 元 at 22:35| Comment(4) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月08日

「国民読書年」がスタート 良書は人間を大きく養う


 昨秋発表された「読書実態と意識に関する調査」((財)出版文化産業振興財団)によれば、1カ月間に本を1冊も読まない人は23・7%に上る。
 また、1カ月に読む本の冊数は「1冊」が最多の29・2%で、「5冊以上読む」と答えた人は10%。反対に「0冊」と答えた人が多かったのは30代だった。
 若者の活字離れや、本離れが叫ばれて久しい。日本では今世紀に入り、「子どもの読書活動の推進に関する法律」(2001年)や「文字・活字文化振興法」(05年)が成立。財団法人「文字・活字文化推進機構」を中心に、読書の振興のための、さまざまな取り組みが行われてきた。
 こうした中で、政府は本年を「国民読書年」と定めている。
 「じゃあ、読もう。」とのキャッチフレーズを掲げ、政官民協力のもと、文字・活字文化振興に向けた、多彩な活動も計画されている。国民一人一人が多くの良書に触れ、読書の楽しさを実感する機会としていきたい。
 文字・活字文化推進機構の福原義春会長は自身の読書体験を通して、「私という人間は、今までに読んだ本に編集されてでき上がっているようなものである」と語っている(本紙元日付)。
 読書は人を育てる。中でも長く読み継がれてきた古典や文学作品は、人類の英知が凝縮された書物といえよう。それゆえ戸田第2代会長は、「長編を読め。世界的な小説を読め」「青年よ、心に読書と思索の暇をつくれ」と訴えた。
 1日5分でも、10分でもいい。地道な読書の積み重ねは、時と共に大きな財産となる。
 池田名誉会長もその実践を長年続けてきた。若き日に、仕事と活動の合間を縫って、ユゴーやダンテ、ゲーテ、ホイットマンなど、古今の名著を読みに読んだ。その読書量が、現在の膨大な執筆活動を支え、良書を生み出す原動力となっている、と指摘する識者も多い。
 今、創価大学の中央図書館には、かつて創立者が学生に贈った指針が掲げられている。
 「読書は黄金の輝き/読書は勝利者の源泉/読書は幸福の伴侶なり/読書は偉人への道/良書を読め 悪書を叩け それが正義の人なり」――この言葉を胸に刻み、きょうも自身の心を豊かにはぐくむ一書をひもときたい。


2010・1・6 聖教新聞 社説
posted by 元 at 00:51| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月24日

あるメンバーさんのお母さん

 以前からかかわっている欝の病を持ったメンバーさんから昨夜電話があった。 「母が心筋梗塞になって、救急車で病院に運ばれた」とのことだった。
 私はすぐ行こうと告げ、メンバーさんと一緒にその病院へ向かった。
 病院へ着くと、メンバーさんのお姉さんがいて、状況を聞きました。
 いつもと違い呼吸が乱れ、本人は大丈夫だからと言っていたようですが、顔は青ざめただごとではないと救急車を呼んだそうです。
 医者の説明では、心筋梗塞の疑いと肺に水が溜まって溺れてる状態に近い状況だということです。心肺機能はかなり弱っていて血栓が細い血管に詰まりそうで、その血栓が脳に流れれば脳梗塞の恐れもあるとのこと。ICUで治療を受け今は落ち着いているから今面会できると。
 お姉さんと、メンバーさんと、私で面会しました。
 お母さんの顔を見た瞬間に涙が溢れでそうになったが、必死でそれを抑えました。



 そのメンバーさんは、私が入会して間もない頃、そのメンバーさんのお父さんが亡くなられ葬儀のときに会うことができた方です。
 それから、うつ病であることを知り面識もでき家庭訪問するようになりました。 彼は一ヶ月間は欝で誰とも話せない時期があり、3,4日から一週間ぐらい会える期間がありました。
 毎週通う中で、本人とはあえませんでしたが、そのお母さんと会って話を30分から1時間していました。
 はじめの頃は、インターホン越しにカスれた声で嫌悪そうに「寝てるよ」ガチャンと切られ、そんな感じでしたが、毎週行くたびにちゃんと玄関まで出てくれるようになりました。
 
 祈っても祈っても、状況は良くならず、ある日決意して勝負しました。
 お母さんに、家に上がらせて貰えないかとお願いして、会って話がしたいんです と、おもいを告げました。 すると、お母さんは、少し間を開けたあと「いいよ」と承諾してくれました。
 部屋に入ると、窓はカーテンで閉めたっきり、御本尊様もしばらく開けてないかんじで、埃がつもっていました。布団にもぐりこんで横になっていました。そして、こちらに背を向けた状態で話をしました。 
 今話しても大丈夫ですか?と聞くと、あんまり話したくないと言いました。 勤行を一緒にしませんか?と聞くと、いや無理ですと。それでは三唱だけ付き合ってくださいとお願いすると。それだったらと、むくっと起き上がりました。 私は、カーテンを開け、お厨子を開け、一緒に三唱しました。

 それから、一週間後、彼から電話がありました。 父が亡くなった後から、彼とお母さんは遺族年金で暮らしていたそうです。実は家賃を払えなくなっており、もう出てくれと大家さんに言われたそうです。
 それを聞いた私は何とかしようと役所をまわりました。 住む所が無くなった人たちが暮らせる施設があることを知り、それを話しました。
 二人で暮らせる所は埋まっていて、別々になってしまうとのことでした。 お姉さんと話をし、お母さんを引きとってもらえないかとお願いしました。すると、大丈夫ですと。
 そして、最後の座談会にお母さんが参加して、「元さんには本当にお世話になりました」と話してくれた瞬間に、もう涙を抑えることは出来ませんでした。

 彼は、車で3、40分くらい離れた施設に入り、お母さんは、お姉さんのご家族と一緒に暮らすことになりました。

 それから、彼は変わりはじめました。その彼に会いに行くと彼が、「元さんの地区に帰る」と言いました。そして、彼は自ら仕事を探し、就職しました。そして、本当に帰ってきたのです。
 欝も3,4日調子悪いときはありますが、一ヶ月ぐらいは大丈になりました。
 


 そんな記憶が、お母さんと面会したときに頭の中を廻りました。
 お母さんは、息が苦しいのに、「大丈夫だよ。明日は仕事でしょう。もう、帰りなさい」と、そんな状況にもかかわらず、こちらのことを心配してくれました。
 それから、お姉さんの家で犬を2匹飼っているみたいで、お母さんが、その犬が可愛くて可愛くてたまらないと言ったあと、「こんなことを感じるなんて、私はもう死ぬかもな」と。

 そのお母さんが死ぬかもしれないという状況に直面したときに、わたしは、悲しみ、苦しみ、絶望、嬉しさ、心配、希望、後悔、願い、感謝。そんな感情が一気に出てきた。
 

 面会が終わり、車の中で彼は、お金が心配だと言った。入院するお金が工面出来るかどうかと。

 私は今読んでいる「山びこ学校」と重なりあった。

 今までの自分であれば、そんな時にお金なんてどうなの?とおもっていたはず。

 その考えは、貧困を知らない自分の愚かさでしかないと今はおもう。

 彼が、そういったとき、私は何も言えなかった。



 
posted by 元 at 16:34| Comment(10) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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