2011年12月03日

感謝

久しぶりのブログ更新です。 更新も無きブログにコメントくださった方々、閲覧してくださった方々には大変申し訳ないおもいです。

私自身、修業の旅に身を投じ滝に打たれ、座禅を組み、火の付いた薪の上を歩き悟りを得て帰って来ました(ウソ)。

男子部最後の戦いに没頭していました。 私が卒業した後、関わっていたメンバーさんたちが折伏を決めています。三世帯も。 しかも卒業の折に、私の縁した人達から激励のコメントを書いたアルバムをプレゼントしていただけました。泣きました(決して人前ではありません。ご本尊の前でひとりでですよ)いただいたその時は、こんだけできるんだったら本幹結集はもっとできるだろ?と文句をいいましたが。
まー、偉そうなこと言っていますが、完全にハッタリです。

ですが、彼らに教えられました。たくさん。 

感謝できないことは問題ではないのです。 感謝を感じるのに、早く感じる人もいれば、なかなか感じない人もいます。 感謝は強要するものでもなく自然と感じるものです。それを自分の価値観で判断してしまうことはとんでもないことだと思います。っていうか、私がそうでした(汗)

それから、生命って悪く思う生命もあれば、よく思う生命もあります。ですが、否定することはできないのです。どんな人にも一念三千があることを理解することが大切だと思います。他者と変わらないところを着目するべきだと思います。強く出る生命が個性でもあるし、その強く出る生命を殺そうとする働きが社会や組織、道徳、価値観にあるということは認識すべきだとおもいます。 型にはまらない自由な、そして個性を発揮できる環境の構築が今の私の課題です。

まー、頑張ります。 目標は怠惰な私でも続けるが目標で。 
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2010年10月02日

脈動

 師の意図に叛く考えはさらさらないものの、師の意図をただ教条的にしか理解しない。そこで厳しい現実に直面すると、周章狼狽して師の意図を生のまま機械的に同志に押し付けて事足れりとするか、あるいは師の意図が気になりつつも、直面した現実を特殊な場合として、浅薄な世間智をはたらかせて現実に適合しようと焦る。ここにいたって、師弟の脈動が断たれていることに気がつかない。まことに師の考えるところと、弟子が懸命に考えることとが冥合するとき、信仰の奔流は偉大なる脈動となって迸る。師の意図にただ追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不二の道の一切がかかっているのである。
−小説 人間革命 10巻 「脈動」−より



私たちの目標とは何であるか。師に応えようと目標を打ち出し達成しようと試みる。私たちは日々の戦いの渦中、数の目標で応えようとする。数という目標の中にあるはずの本質が歪められ本来素晴らしいはずのものが切羽詰まり、それを皆に強要してしまい価値を低下させていく。そうなってしまったときに目標がノルマ化する。その行為が意識の少ないメンバーに抑圧や葛藤を根付かせる。師に応えようと、師を利用する。自身の力の無さを顧みずに。保身や権力の魔性、利己的な思考が師弟をドグマ化する。誓願を打ち立てるのは自身である。同志だからといっても師弟観は個々の問題である。決めるのは各自である。数字を安易に下ろすのは愚劣極まりない。それは自身でやるべき数字だ。メンバーに戦わせようなんて考えるとしたら傲慢ではないのか。人をコントロールすることがどれだけ卑劣な行為かよくよく心したい。師に学ぶべきは心だと思う。その心から発した行為や言霊が人々の心を灯し志を一つにできるのではないか。そのなかで苦悩しもがき、他人の築いた道ではなく、自身で築き切り開いた新たな王道を創りゆくのが師弟の道であると確信する。
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2010年09月22日

SGIの「師弟の絆」




SGIの「師弟の絆」

取材者(編者:註)ー実際に創価学会•SGIのメンバーを取材されて、仏教に対して、どのような印象を持たれましたか。池田SGI会長をどのような人物だと思うようになられたのでしょうか。

ストランド これまでの創価学会との関係を振り返ると、数年の間に私の考えが大きく変わってきたことが分かります。
私は元々、禅宗の修行を積み、僧侶(教師)の資格も得ており、仏教の信仰を「座しての瞑想」としてとらえがちでした。これは、大部分の西洋人が仏教に対して抱いている偏見です。西洋における多くの仏教は、古代の僧院スタイルを踏襲していますが、家庭を持ち、長時間の仕事に励む在家の仏教徒にとって、長時間の瞑想修行などは日常生活から隠遁する環境下でなければ不可能です。
私が創価学会の信仰を体験して学んだことは、仏教の信仰には瞑想以外のやり方があるということです。創価学会の信仰活動は、より進化した形の実践法であるだけに、現代人の生活スタイルに、よりマッチしていて、効果的だということです。これから創価学会に触れる方々も、そのことをきっと理解するでしょう。
二つ目に、仏教に関心を抱く西洋人の多くと同様に、私も権威主義的な信仰モデルを教え込まれました。そこでは、師匠と弟子との関係は上位下達式で、絶対服従が基本です。しかし、弟子が師匠から得るものは少ないのです。しかもアメリカでは、こうした権威主義モデルでさえも、きちんと務めを果たせている仏教界は、1979年代から幾度にもわたる僧侶のスキャンダルで揺れに揺れてきました。アジア人僧侶と、その後を継いだアメリカ人僧侶が、衣の権威を利用し、繰り返し信者の信頼を裏切ったのです。
私が初めて創価学会に出あった時、(参加者が平等に語り合う)座談会や、会員同士の人間関係•連帯感を重視するのを見て、「誰も上に立つ人がいなくて大丈夫かな」と思いました。しかし時間が経つにつれ、地域社会に根ざした在家のリーダーシップの形を見て、この方がずっと健全で、安定正のある信仰の在り方だと思うようになりました。
三つ目に、アメリカの仏教では上位下達式の権威主義的モデルが蔓延していたため、当初、私は、池田SGI会長を信者に絶対的忠誠を求めるカルト教祖的な人物としてイメージしがちでした。
しかし、創価学会の目的は、戸田第2代会長の有名な「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」との言葉にあるように、陸続と人材を育成し、世界に広宣流布を進めることにあります。西洋には学会のような仏教団体が皆無であったため、理解するのに時間がかかりましたが、アメリカと日本でメンバーと直接触れ合うなかで、私の中の偏見は解消されました。
私は、創価学会の「師弟」と仏教宗派の「師弟」の違いが、社会に向けてまだ十分に説明されていないと感じています。学会の皆さんの「師弟の絆」
は、誤解されて社会で認識されていないるのです。学会のリーダーにはそのことを理解して、一段と説明の努力を担っていただきたいと願っています。

大白蓮華 NO725 2010年6月号
P83-84より抜粋


※宗教ジャーナリスト
クラーク•ストランド氏
(アメリカの著名な仏教研究家。アメリカを代表する仏教誌「トライシクル」の元編集長)

posted by 元 at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 師弟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

誓い

 尊敬している方から叱咤激励をいただいた。 とても痛かった。 私自身の信心の姿勢を正してくれた。

 師匠への誓願。誓いは変わらないものだ。私は期間限定の誓いしかしていなかったから、その戦いが終わってしまえば消えてしまう誓いだった。それは誓ではなかった。願望程度のものだった。

 永遠の誓いを一つ決めた。この誓いを一つずつふやしていくことが信仰なのかもしれない。

 ありがとうございます。 拝謝。
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2010年08月09日

正義について

 今の社会の正義は「金」である。これは間違いないことだ。資本主義社会の中で企業が権力者である。そして民衆は企業の奴隷と化している。 
 
 産業革命以来私たちは生活の豊かさを求め大量生産し、大量消費してきた。心の豊かさをかえりみず。そして弱者から利益を奪い取る。正義の名のもとで戦争が正当化されている。罪なき民衆の命が苦しみと共に消えていく。

 正義とは何だ。正義より大切ではない命がどこにあるのだ。自分たちの正義など偽物である。正義という言葉の裏には必ず排他的意識が潜む。それを打破できる正義があるのだろうか?
posted by 元 at 15:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 人間主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

「やる気」が出るコツ、続くコツ 和田裕美


「やる気」が出るコツ、続くコツ―わかっているけど動けないあなたへ

「やる気」が出るコツ、続くコツ―わかっているけど動けないあなたへ

  • 作者: 和田 裕美
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2010/05/28
  • メディア: 単行本





なんでもいいから「動く」のです。
(中略)
その一歩が、電源を入れるスイッチになります。電源を入れてエネルギーが回れば、どんなものでも動きます。そして熱を発散するのです。
同じように身体は動くと熱くなります。心も同じなのです。
やる気が出てから動くのではなく、動くからやる気は生まれるのです。

【「やる気」が出るコツ、続くコツ 和田裕美】
posted by 元 at 02:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 勇気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

奇跡の地球物語〜近未来創造サイエンス〜

第6回 「天才 脳に秘められた無限の可能性」2009.11.08放送

ダビンチ、モーツァルトからアインシュタイン、ピカソまで、類まれなる才能を持った人物を我々は“天才”と呼ぶ。
科学・芸術・スポーツなどあらゆる分野で幾多の進化を遂げてきた人類――その牽引者たる天才が出現しなかったら、今の社会は生まれていなかったかもしれない!?
石川遼とモーツァルト。
2人の天才には、ある共通点があった。
それは幼少期に英才教育を受けたこと。
今でこそ、注目されている英才教育、それは脳にどのような影響をあたえるのか。
ある脳科学者によると、「脳には 、能力を獲得するために、学習能力が飛躍している時期“感受性期”が一生のうち一度だけある。
その時期、適度な刺激を与える事で、脳は驚異の発達を遂げる。
」という。
感受性期は使われる脳の部位によって異なり、例えば絶対音感を身に付けられるのは3歳から6歳頃までと言われている。
天才と“脳の感受性期”には確かに密接な関係がある。
しかし、才能の飛躍はその時期に限られた事なのか?
 実は、この世には“神業”ともいうべき技術をもつエキスパート達が 存在することも忘れてはならない。
彼らは晩年に才能を開花させてきた人達も多い。
人間の感覚を研ぎすませると、一体脳の中には何が起こるのか。
ルービックキューブの達人と普通人の脳の反応の違いを調べると、脳のある一カ所の部分にその違いが現れた。
達人の脳だけ「視覚前野」という呼ばれる目から入った情報を処理する部分が反応していた。
どれを動かそうとは考えず、見た瞬間に次の動かし方が分かる、そんなネットワークが脳に作られていたのだ。
20歳からルービックキューブを始めた達人の脳に変化をもたらしたのは、経験。
大人になってからも、経験やイメージが脳の可能性を広げていくのである。
毎日の生活の中で、興味を抱くこと、夢中になること、経験を積むこと、想像力を働かせること・・・
そんな全てが脳に秘められた無限の可能性を広げていくのだ。

奇跡の地球物語〜近未来創造サイエンス〜
posted by 元 at 01:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

祈りについて



 最近唱題していて違和感を覚えた。 願望を祈ることへの罪悪感だった。 苦難や悩みから逃げたいし、さらには、仕事での成功など欲望に拍車がかかり更なる欲望と自己顕示欲へ助長させてしまっていた。 苦難や苦しみを乗り越えようとするのも願望だった。

四条金吾殿御返事

苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ  
(御書 P1143)


 苦をば苦と悟りとは、逃げる事でもなければ乗り越えようとすることではなく、苦を感じて自身の心がどう反応するか、どうしてそう感じるのかと見ると原因が自分の中にみえてくる。 
 楽をば楽とひらきとは、苦と同じように自身の中に見出し、何故楽と感じるのか掘下げると感謝すべきことを知りうる。
 【自受法楽】とは「法楽は世間的な欲望充足の幸福である欲楽に対する語で、仏の悟りを享受する最高絶対の幸福をいう。」 であるなら、願望を含め欲望から発祥した祈りは相対的幸福しか得られず、絶対的幸福境涯を得るためにはそれから離れた祈りでなければ得る事はできないし、得ようとすれば、それもまた願望である。

 そう考えると祈りは「観心」なのか?

【観心】「己心を観ずること。心を対境としてそれを明らみにみていくこと。」

如来滅後五五百歳始観心本尊抄

観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり
(御書 P240)


 御本尊様は私たちの生命そのものを顕しているならばそれを明鏡として観ずることが祈りということになるのでしょうか。


 祈りと観心の関係をもっと勉強します。 教学は難しい・・・。
posted by 元 at 19:51| Comment(8) | TrackBack(0) | 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月20日

5か月長女を壁に投げつけ…無職母親を逮捕

4月20日11時53分配信
読売新聞

 生後5か月の長女を壁に投げつけ、左腕の骨を折るけがをさせたとして、愛知県警半田署は、福井県敦賀市東洋町、無職堀居緑子容疑者(22)を傷害容疑で緊急逮捕したと、20日、発表した。

 発表によると、堀居容疑者は、今年2月上旬頃から今月16日頃まで、自宅で、壁にぶつけるなど長女を虐待し、左腕の骨折など約3週間のけがを負わせた疑い。調べに対し「育児の疲れで、イライラしていた。解消のため、壁にぶつけたり、たたいたりした」と虐待していたことを認めているという。

 長女は、左腕のほか、右腕、右足の計3か所に骨折があったほか、顔面や胸部に打撲痕があった。また、左足の裏に、鋭利なもので刺された傷もあったという。

 堀居容疑者は、敦賀市内の自宅で夫(27)と3人暮らし。今月18日から長女と愛知県常滑市内の実家に帰省していたが、母親(54)が長女の体にアザがあるのに気付き、近くの病院に連れて行き、不審に感じた病院からの通報で虐待が判明した。


 痛ましい・・・・。 目を背けたくなる事件。 
 生後5ヶ月の赤子を22才の母が幾度となく虐待を繰り返したのでしょうか。はじめは、ちょっと抓っただけかもしれない。しかも無意識に。そして、徐々にエスカレートしてしまったのでしょうか。ふと我にかえって自己嫌悪し、そしてまたストレスを感じ繰り返してしまう・・・・。 あまりにも無力な子供。そして、過度の育児によるストレスからくる暴力。 なぜそうなってしまったのでしょうか・・・。
 私はこの事件をどう受け止めればいいのでしょうか。ただただ虚しく、悲しく、やり場の無い怒り、そして自身の無力感が襲う。
 できるなら、知りたくなかった。
 戦争もこの事件も根本にあるのは同じようにおもう。
posted by 元 at 16:14| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月02日

iPhone3Gマクロレンズ付ケースGriffin Clarifi Case

iPhoneでバーコードが読めない人のために以下の商品で問題解決します。
他にもレンズのみもあります。


Griffin Clarifi Case For iPhone 3G マクロレンズ付き

Griffin Clarifi Case For iPhone 3G マクロレンズ付き

  • 出版社/メーカー: Griffin Technology
  • メディア: Wireless Phone Accessory



posted by 元 at 13:23| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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