2011年12月11日

摂受と折伏

摂受と折伏について、疑問がわいていました。 そうですね、折伏に挑戦しはじめてから『仏法は摂受折伏時によるべし』との御文から、今は本当に折伏なのかとの疑問から迷っていました。それから迷いつつ進んできましたが、今はっきりしました。
摂受とか折伏とか研鑽する上ではもちろん考えることも必要だとは思いますが、苦しんでいる人、悪影響を及ぼすような人を目の前に、摂受か折伏かなんて考えるわけもない。相手をおもう気持ちから湧き出る一念で真剣に誠実に語ってしまっているそのものがすでに折伏なんですよね。 
気づかせてもらった同志に感謝です。

修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし

とてもかくても法華経を強いて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり
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2009年06月16日

立正安国論

【本文】
 唯我が信ずるのみに非ず又他の誤りをも誡めんのみ(御書P33)

【通解】
 ただ自分ひとりが信ずるだけでなく、他の人たちの誤りも戒めていく決意です。

 
 他人の過ちを戒めるには勇気がいります。ですが、本当にその方をおもうのであれば言わなければなりません。言うのも勇気、受入れるのも勇気ですね。
 Le courage!
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2009年06月11日

くやしい

 今日、弟の折伏に挑戦しました。今回で4回目です。
 今、弟は離婚をしようとしています。絶対に弟とその家族を幸せにすると決意してのぞみました。自分のすべてを出して語りました。しかし、今は何も考えられないとのこと。別居してしばらく一人で考えたいと。
 帰途の車中で自分の弱さにものすごく腹が立ちそして悔しくて、悔しくて、涙がでました。悩んでいる弟を助けられない自分が情けなかった。もっともっと強くなりたい。もっと強くならなければ誰も助ける事ができない。負けられない。否、負けたくない。そう心の中で叫びました。
 
 
 
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2009年04月30日

相手の仏性を信じ抜け

御義口伝

 不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり
(御書P769)

【通解】
 不軽菩薩は(迫害のなか)慢心の四衆(僧・尼・在家の男女)に対しても、仏性があると礼拝した。その時、慢心の人々の仏性も、不軽菩薩を礼拝したのである。これはちょうど、鏡に向かって礼拝すれば、映った姿もまた、自分を礼拝しているようなものである。


 池田先生は「なにか“強引”であることが折伏だと思い込んでるとすれば、それは大変な勘違いであり、過ちです。折伏とは『真実を語る』ことです」と述べられている。「あなたにも必ず仏の生命がある」− この真実を、真剣に語り抜くのだ。
 ゆえに、少しでも常識に反したり、無礼や傲慢な振る舞いがあってはならない。丁寧に、ある時は厳父のような情愛をもって語ることだ。その時、相手の仏界は、鏡のようにこちらの誠実な姿を映し、礼拝し返す。相手を仏のごとく尊重すれば、相手の仏性も、こちらを敬うのである。
 これは「いつかそうなる」のではない。生命の次元においては、その瞬間瞬間に因果が刻まれる。そして時と共に、はっきりと表れてくる。
 あいての仏性を信じ抜く強さが、わが生命を豊かにしていく。折伏は、自身の人間革命を懸けた真剣勝負の挑戦なのである。

『御書をひもとく』より


 参りました。この部分を拝したときに一瞬時間が止まったような感覚を覚えました。たしかに人と接する時怒鳴れば相手方は怒ります。修羅界は修羅界で共鳴しあう。優しく接すれば相手方も親切に対応してくれる。誠意をもって接すれば相手方も誠意で応えてくれる。おもいとおもいが響きあう。鏡なのですね。
 折伏にしても自身の本心がどこにあるか。一念が本物なのか。この一点で相手方の生命が決まってしまう。
 折伏したあと縁が切れてしまったり、敵にしてしまったりしてしまうのは自身の命に原因があるということになります。その自身の生命を見つめ直す作業が必要であり、題目なのだとおもいました。日々唱題に励み自身を磨いてゆかねば。
posted by 元 at 23:10| Comment(3) | TrackBack(0) | 折伏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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