2009年04月05日

新池御書

 終に世間の悪業衆罪は須弥の如くなれども此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし、然れども此の経の十四謗法の中に一も二もをかしぬれば其の罪消えがたし
(御書P1493)


(通解) 結局、世間の悪業やさまざまな罪は須弥山のように多くあっても、法華経にめぐりあえたならば、すべての罪業は霜や露のように、法華経の日輪にあって消えてしまうでしょう。しかしながら、法華経に説かれている十四謗法のなかの一つでも二つでもおかしたならば、その罪は消えにくいのです。



十四誹謗(じゅうしひぼう)
湛然の十四誹謗の説に依拠して、「わが宗のどんな高僧や大檀那と称される人でも凡夫である以上完璧はありえず、日々、無数の謗法を犯しているのである。ましてや高僧でも大檀那でもない自分ごとき者は、信仰に対する慢心や油断等を厳に慎んでいかねばならない」といった内省的観点からこの言葉が説かれる場合もある。『法華文句記』巻6に説く。

憍慢(きょうまん) - 増上慢と同義。慢心。おごり高ぶり仏法を侮ること。
懈怠(けたい) - 仏道修行を怠ること。
計我(けいが) - 我見と同義。人間我に執着し、自分考えで仏法を判断すること。
浅識(せんしき) - 自身の浅はかな知識によって正法を否定すること。
著欲(じゃくよく) - 欲望に執着して仏法に不信すること。
不解(ふげ) - 仏法を理解しようとせず自己満足すること。
不信(ふしん) - 仏法を信じないこと。
顰蹙(ひんじゅく) - 顔をしかめて仏法を非難すること。
疑惑(ぎわく) - 仏法を疑い惑うこと。
誹謗(ひぼう) - 仏法を謗(そし)り悪口を言うこと。
軽善(きょうぜん) - 仏法の善を信受する者を軽く見る・蔑視すること。
憎善(ぞうぜん) - 仏法の善を信受する者を憎むこと。
嫉善(しつぜん) - 仏法の善を信受する者に嫉妬すること。
恨善(こんぜん) - 仏法を信受する者に対して恨みを抱くこと。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




 私はこの信心に巡り会い、ありがたくもこれまでの謗法は罪業消滅していくと仰せになられています。しかしこの、「十四誹謗」を犯してしまったら罪業は消えがたいとも仰せです。せかくこの信心に巡り会った福運や功徳をすてることになる根源は、忘恩だとおもいます。この信心に感謝し報恩のおもいで尽くし、恩返しを少しずつコツコツ返していきたい。

posted by 元 at 21:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 謗法 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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