2009年02月03日

全国代表幹部協議会での名誉会長のスピーチ (上)

 広布を進める皆様の大功徳は、末法万年尽未来際まで、一家一族に伝わっていく。
 これが仏の御約束である。仏の言葉に嘘はない。
 仏法は厳然たる因果の法理である。
 その反対に、悪事を働き、広布の和合を破り、尊き同志を苦しめる人間は、絶対に大罰を受ける。永遠に地獄の業火に焼かれるような厳しい報いがある。
 功徳も罰も、「絶対に」あらわれる。これが仏法の力である。
 仏法は、感傷論でもなければ、たんなる理論でもない。そんなに底の浅いものではない。
 仏法の因果律が、どれほど厳しいか。
 このことを私は、戸田先生から、繰り返し教えられた。
 戦時中、命がけで正義を叫ばれた牧口先生と戸田先生は、軍部に投獄された。
 その時、牧口先生を迫害した人間、弾圧した人間が、いかに峻烈な報いを受けたか。私は克明に知っている。
 御本尊には「若悩乱者頭破七分(若し悩乱せん者は頭七分に割れん)」「有供養者福過十号(供養する有らん者は福十号に過ぐ)」とお認めである。
 この絶対の法則の上から、私は確信をもって妙法を弘めている。
 皆さんも頼むよ!
 フランスの文豪ユゴーは綴った。
 「私が言う太陽とは正義であります」
 正義の太陽を胸中に輝かせながら、晴れ晴れと自身の勝利へ前進していただきたい。



去って去らず


 「自分の一番輝く時を待って、その出番の時にしっかりと輝く。そして、次の者や後輩が来たら、しっかりと輝かせていく。これが宇宙の方程式なのです」
 いい言葉である。
 たとえば、学会の組織において、役職を交代する場合も、後輩が自分以上に輝くことを祈りゆくことだ。
 また、人生には、さまざまな変化がある。光の当たる舞台を離れるように思える時もあるかもしれない。
 しかし、たとえ、どのような立場になろうとも、仏法の考え方からいえば、「去って去らず」である。その深義は御義口伝で展開されている。(御書P719、P783等)
 ともあれ、何があろうと、変わらぬ心で、正しき師弟の道を邁進する。これが仏法者の人生哲学である。
 この覚悟に立つならば、いかなる変化にも感傷など必要ない。
 一生涯、「学会精神」「広宣流布の精神」「師弟の精神」を燃え上がらせて、若々しく進むのだ。
 「広宣流布」を目指しゆく創価の連帯は、環境がどう変わろうと、また、生死を超えて三世永遠に「師弟不二」であり、「異体同心」である。朗らかに前進しゆく、不滅のスクラムなのである。



2009-1-31 聖教新聞
 
posted by 元 at 00:21| Comment(2) | TrackBack(0) | 厳然たる因果 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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