2009年07月17日

歓喜

 会長は、質問会をすることを提案し、1時間半にわたって懇談的に進めていった。
 始めに、「御書の中に『南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり』(788n)とありますが、生活に当てはめると、どう拝すればいいのでしょうか」という質問が上がった。
 会長は即座に、具体的に語った。
 「最高の歓喜とは、どういうことか。自分が歓喜して、その喜びにあふれた姿を見た人までが、同じ喜びに燃え立っていく。これが歓喜の中の大歓喜ということです。
 利己主義の喜びではありません。人をも同じような歓喜の境涯に、歓喜の生活にあらしめていく、その歓喜が大歓喜です。
 病気の場合であっても、信心が本当にあれば歓喜になります。その姿見た人が奮い立っていくのです。
 だから、地区がまずいとか、戦いがうまくいかないとか言っても、原因は全部、自分にあると受け止めていくのです。
 この間も、『指導者は鏡である』と婦人部に言いました。あなたも諸法実相として、あの人の人格は、あの人の生き生きとした躍動はすごい、といわれるようになってください」

2009-7 大百蓮華 714  P62



 歓喜するには心の奥底からそう思えるかどうか。純粋に好きなことを楽しむ場合自然と歓喜します。子供は体が泥まみれになろうとも、楽しそうに遊びます。広宣流布を前向きに心から楽しめるには、『信じる』この一点なのだとおもう。迷いや、疑う心があれば絶対に歓喜できるはずはないから。自然にありのままの自分でそうおもいたい。
posted by 元 at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 歓喜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月29日

御義口伝

 蓮祖大聖人は、師弟相伝の「御義口伝」に仰せになられた。
 「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」 (御書P788)
(通解)
 自分自身が本来の仏であると知る事を大歓喜と名づける。すなわち南無妙法蓮華経と唱えていくことは歓喜の中の大歓喜なのである。
 いかなる困難にも打ち勝つ「仏」の命は、どこか遠くにあるのではない。汝自身の胸奥にある。その大生命に目覚める以上の喜びがあろうか。それを勝ち取る源泉こそ、強き信心であり、勇気ある信心なのだ。

2008-8 大百蓮華No703 巻頭言


 自身の中にある仏性を信じ、他人の中の仏性も信じ、大歓喜したいですね。そのためには何をすべきかよくよく考え行動しゆきたい。
posted by 元 at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歓喜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へスカウター : 人間主義の旗を!
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。