2009年07月09日

四条金吾殿御返事

【本文】
 法華経の信心をとをし給へ火をきるにやすみぬれば火をえず
 (御書P1117)

【通解】
 法華経の信心を貫き通しなさい。火を起こすのに、途中で休んでしまえば火は得られない。


 連日の会合や、法戦で疲れも溜まっています。しかし、ここからが本当の戦いであり、正念場であります。歯を食いしばり、自身に勝利したい。そして同志と共に喜びあいたい。『共戦』とは「師匠と共に」であり、その志を共にするのが同志であると私はおもいます。そして、そのおもいが本当の異体同心であると確信しています。だからこそ、最後まで走りきらなければならないと決意しました。
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2009年06月12日

秋元御書 (筒元器抄)

【本文】
 或は少し信ずる様なれども又悪縁に値うて信心うすくなり或は打ち捨て或は信ずる日はあれども捨つる月もあり是は水の漏が如し
(御書P1071)

【通解】
 妙法を信仰していても、悪い縁にあうと信心が弱くなったり、または信心を捨ててしまったり、あるいは一日信じて一か月の間捨ててしまうというようでは、これは器から水が漏れるようなものです。


 水の信心というのはとても難しい。信心から離れないようにする工夫や、生活のリズムのなかに信心を融合させる努力も必要になるとおもう。それを意識していかなければ結局流されてしまう。
 弱い自分だからこそしっかり心がけたい。
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2009年05月20日

諸法実相抄

 行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(御書P1361)


【通解】 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法はない。自身も行い、人にも教え、勧めていきなさい。行学は信心から起こるのである。力があるならば、一文一句であっても人に語っていきなさい。


 Serverの「毎日の御書」配信ぶろぐで毎日御書を送ってもらっています。そして、鯖板にてJunkDark さんが通解をしていただいています。
 なかなか出来ることではないです。御書が苦手な私にとって本当にありがたいです。
 まさにこの御書を実践されている方々です。尊敬できる先輩方であり、私は見習っていきたい。
 ネットという無法地帯で、こういう地味な振る舞いもできるということを教えていただきました。
 私も、もっと学び強くなって恩返ししていきたい。
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2009年05月12日

地区活での感動

 昨日の地区活でのことです。ゴールデンウイークでの交流を皆で活動報告をしました。
 婦人部の勢いある話など盛り上がったあとに、女子部のMさんが、話はじめました。
 「私はゴールデンウイークは母親の引越しのお手伝いをして、後は仕事をしていました」とのことでした。そして、職場でのできごとを話し始めました。5人ぐらいで話をしていると、学会の悪口が始まったそうです。話がエスカレートするなか、彼女は「私、創価学会ですけど・・」と、その中で学会宣言をしたそうです。そして「泣きそうになりました・・」と言っていました。
 私は感動のあまり涙がこぼれました。 二十歳そこそこで、入社して間もない会社での彼女の勇気に胸をうたれました。
 私は自分を恥じました。彼女の戦いに触れて、泣きそうになるぐらいの戦いをしていない自分を情けなくおもいました。
 新たな決意を胸に一から戦いを起こしていきたい。
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2009年04月25日

今日の名字の言


 「創価学会の会館ですか?」。滋賀県の会館に、女性から電話がかかってきた。電話を受けたのは牙城会の友。「どうされましたか?」▼この女性、人生に進退窮まり、以前、知人から聞いた「創価学会」を思い出した。あのときは信じられなかったけど、もう一度、話を聞いてみたい――。番号案内で調べ、思い切ってかけた▼事情を察知した牙城会メンバーは、自身の体験も交えながら応対。のちに婦人部員が引き継ぎ、丁寧な対話で、後日、女性は入会した。入会勤行会で、彼女は語った。「電話に出た青年が親切に説明してくれたので、とても安心できました」▼法華経に「当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経677ページ)とある。日蓮大聖人が「最上第一の相伝」(御書781ページ)とされた一文である。会館で着任する役員の人々が、訪れる友に、身をもって実践している人間主義の大精神でもある▼学会の会館で交わされる笑顔や、「こんにちは」「こんばんは」の言葉。その奥には、誠意、責任感、そして来館者の無事故と幸福を祈る真心がある。創価班、牙城会、白蓮グループ、香城会、王城会、創価宝城会(一日会館長)……。“陰の戦い”に心から感謝したい。(糀)

2009-4-25 聖教新聞 名字の言


 感動しました。日々自他共の幸福を祈っている中での結果だとおもいます。「他人を敬う」相手の仏性をどこまでも信じぬく、それこそ信心の醍醐味であり歓心であり真の幸福なのですね。今人材グループで陰の戦いができることへ感謝感謝です。
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2009年04月19日

今日の名字の言

▼日蓮大聖人は、「蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた心が、麻のように素直になる」(御書31ページ、趣意)と仰せである▼師の指導のままに人格を磨きたい。さらには、私たち自身が、人々にとっての「蘭室の友」になりゆくことだ。

御書 『蘭室の友に交りて麻畝の性と成る』(立正安国論P31)

2009-4-19 聖教新聞 名字の言

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2009年03月17日

「信ずれば」と読む

三世諸仏総勘文教相廃立

 心と仏と衆生と此の三は我が一念の心中に摂めて心の外に無しと観ずれば下根の行者すら尚一生の中に妙覚の位に入る(御書P567)

(通解) 心と仏と衆生と、この三つは我が一念の心中に収まって、心の外にはないとみることができれば、(仏の教えを受け容れる能力が劣り、仏道を実践していく力の乏しい)下根の行者ですら、一生のうちに妙覚(仏)の位に入るのである。


 池田会長の凛たる声が響いた。「『一念の心中に摂めて心の外に無しと観ずれば』の『観ずれば』は『信ずれば』ということです。何を信ずるかというと、『心と仏と衆生と、この三つはわが一念の心中にあるということを信ずれば』です。これはまだ説明です。
 では、どういうことかといいますと、わが身が仏であるということを信ずるということです。わが生命こそが妙法蓮華経の当体であるということです。妙法蓮華経の活動ができるのだということを信じて、ということです。
 どういうふうにすれば、そうなるのか、どうすればいいのか。それは、ただ一つ、結論は御本尊に題目をあげることしかないということです」
 確信の講義が続いた。
 「戸田先生は『自分が南無妙法蓮華経の当体だと思いきっていく以外にない』と言われました。この御文の通りです。そう思いきるといっても題目をあげきらなければ確信がつきません。ですから、ふだんの信心が大事なのです。
 思いきるといっても、『私は妙法の当体だ』といっても、観念論で終わってしまいます。事実のうえで実感するのが題目です。題目をあげてあげ抜いていけば、それがもう妙法の当体なのです。
 題目をあげきっているならば、何があっても、恐ろしいことはありません。願いは全部叶います。
 それが、うまくいかないのは、ある程度までは信心はあるけれども、大事なところでは、やはり確信を丸くして崩しているのです。本当に御本尊に題目をあげきり、御書通りに広宣流布のために『如説修行』することです。
 あの人はこうだ、この人はこうだと紛動されないで、信心を全うしていけば、どんなことでも叶うと、私は断言します」

2009-3 大百蓮華 No710 師弟に生き抜け!「勝利の年」は「婦人部の年」B


 この先生の講義から「確信」を感じました。全ての現象も環境も善も悪も私の心中にあるということなのだと。仏、すなわち南無妙法蓮華経は心中にあり、全てであると思います。それを確信できるよう題目をあげぬき広宣流布していきたい。
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2009年03月07日

富木殿御書(止暇断眠御書)

我が門家は夜は眠りを断ち昼は暇を止めて之を案ぜよ一生空しく過して万歳悔ゆること勿れ(御書P970)

(通解) 日蓮の門下は夜は眠る時間をさき、昼は寸暇を惜しんで、一生成仏のことを考えなさい。一生を空しく過ごしてしまって、永遠にわたる後悔を残してはなりません。


 私はこの御書が好きです。なぜなら自分にとって、男子部で訓練できるのもあと僅かであり、入信が遅くなった事への後悔の念があるからです。男子部でしかできない金の思い出を沢山つくりたい。そして後悔を絶対に残したくはない。
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2009年03月06日

人間の振る舞

 伸一は、すべての来賓に、SGIのこと、仏法のことを、正しく理解する契機にしてほしかった。それには、誠実なあいさつ、真心の気遣いが重要になる。人間の振る舞いのなかにこそ、思想、哲学も、信念も表れるからである。ゆえに、仏法者ならば、まず、万人を包み込む、春風のような、さわやかなあいさつを心掛けることだ。

2009-3-6 聖教新聞 新・人間革命 潮流34


 御書に「心こそ大切なれ」とあります。心から出てくる生命の響きが相手に伝わるとおもいます。そして心からにじみでる振る舞いに心を動かされるとおもいます。
 その心を鍛え学べるのがこの信仰です。だからこそ心が豊かになるのです。その豊かな心から湧き出る泉水のように振舞える自身でありたい。
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2009年02月25日

前進

 もう一歩、
 たとえ半歩でも
 前進しよう!
 大求道の人こそ
 真の大勝利者!

2009-2-25 聖教新聞 わが友に贈る


 以前、メンバーさんが“今日は畳の目一本進めました”と言ったことがありました。凄いなとおもいました。そのときに、このメンバーさんの小さな勝利の因が必ず大勝利の因になると確信しました。
 現在、そのメンバーさんはGの大学校生として日々奮闘しています。
 私はおもいます。小さな決意と、小さな勝利それでいいと。自分を大きく見せる必要もなく、ただ昨日の自分より今日の自分が1mmでも前進できたかどうかが、どれだけ大切なことなのか。
 先生からの“半歩でも”この温かい激励のお言葉を深く感じたい。

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2009年02月10日

当体義抄

所詮妙法蓮華の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり、正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり(御書P512)


(通解)
 結局、妙法蓮華の当体とは法華経(御本尊)を信ずる日蓮が弟子や檀那たちの父母から生じたところの肉親そのものをいうのです。正直に方便の教えを捨てて、ただ御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱える人は、煩悩・業・苦の三道(迷い、苦しみの状態)を、法身・般若・解脱の三徳(仏のそなえる福徳)へとかえて、空仮中の三観・三諦(仏の生命)がそのまま生命に顕れ、その人が生活するところは、仏の住むべき常寂光土となるのです。


法身
般若
解脱
空仮中の三観・三諦
ウィキペディア参考

 御本尊を信じぬき、題目をあげきってこそ『壁』を打ち破ることができます。私達自身が妙法蓮華の当体であると確信し揺らぐことのない強き信心を奮起こし、自他共の幸福を実現したい。
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2009年01月31日

新・人間革命  潮流6


 日興上人は遺誡されている。
 「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(御書一六一八ページ)
 広宣流布の大前進の原動力は、戸田城聖が、山本伸一が、この御言葉のごとく、常に死身弘法の決意で奮闘してきたことにある。
 伸一は、盤石な二十一世紀の建設のために、何よりも皆に教えていかなければならないのは、この精神であると痛感していた。
 幹部が完成した組織の上に乗っかり、行事を運営する手法だけを身につけ、それで広宣流布が進むかのような感覚に陥ってしまえば、早晩、学会は破綻をきたすことになる。前進は死闘なのだ。
 幹部が、それを忘れ、青年が、それを知らずに育っていくことを、伸一は最も危惧していたのである。
 生命を削るような苦闘の積み重ねのなかに、広宣流布の道も、自身の人間革命の道もあるのだ。
 「光栄は労苦のみによって得られる」(注)とは、ナポレオンの魂の言葉である。

2009-1-31 聖教新聞


 これは心ある同志が肝に命じなければならない。命にこの師匠のお心を刻みたい。
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2009年01月28日

信心の究極とは

 「御書に『大難来たれども憶持不忘の人は希なるなり』とありますが、これは、どんな大難が来ても憶持不忘、すなわち恐れないで、大聖人の仰せの通りに、ご本尊を忘れないで修行しきっていく人は少ない、と仰せなのです。もう、これだけ知っていればいいのです、信心は。これだけなのです。
 悪いことがあればあるほど、その時こそ大功徳を受けるチャンスなのです。これさえ覚えていればいいのです。あとは枝葉です。信心の究極はここなのです」
 学会は、永遠に「御書」が根本である。「師弟」が根本である。
 3月17日夜、総務は日記に記した。
 「御書をはきちがえた、自己中心主義の、幹部がいるのに頭痛あり。 指導者は、絶対に頑迷と偏狭であってはならぬ。後輩が可哀想でならない。恩師の指導・訓練が、もう消えたのか、と怒りたい」


2007-3 大白蓮華 No686 「総務」奔走B


 家にある昔の大百蓮華をペラペラ捲っていて目に入り心を打ちぬかれたページでした。当時の私はスルーしていたとおもいます。しかし、今、は違いました。当時にくらべて格段に意識が違うことを実感いたしました。大聖人の教え通り、先生の教え通りできるかどうか。これが人生に勝利できるかどうかの境目だとおもいます。この素晴らしい御書や先生の指導がどれだけありがたいことなのか深く深く感じたい。
 そして、祈り戦ってこそ御書や先生のご指導の意味が理解できるとおもいます。絶対にずれた幹部にはなるまいと固く決意しました。
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2009年01月22日

池田会長指導

 信心の世界は、積極的に、求道精神をもって実践したときには、功徳をうけ向上していく。反対に受身の場合には、なんとなく、圧迫感や抵抗を感じて、感激がなくなり、功徳もうけられずに惰性に流されてしまう。すべて自分のためであると確信して、活動していく積極性が、真実の仏道修行である。


御書に学ぶ女性の生き方 八矢弓子編  聖教新聞社



 積極的に取り組む姿勢の難しさを感じました。惰性は、無意識にそうなっている場合があります。確認する作業が必要であり、それが日々の祈りだとおもう。祈りながら自身を見下ろす作業であり、先生に今日の一日を報告することでもあるとおもう。積極的に仏道修行をまっとうしたい。
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