2009年05月25日

十字御書

 わざわいは口より出でて身をやぶるさいわいは心よりいでて我をかざる。(御書P1492)

【通解】 災いは口から出て、身を破る。幸いは心から出て、自身を飾る。


 沖某は、御本尊様が迹で自身が本という我見を言い出し、身を破られた。引っ込みがつかなくなり、自分を守るために泥沼にはまっている。
 しかも、最近のコメントをうかがうと私でもわかってしまうぐらい愚かなコメントが多い。自分の姿が完全に見えていない。
 組織利用という謗法を犯してしまった人がどのように転落していくのか。謗法の恐ろしさをあらためて感じる。



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2009年04月24日

遺族らに誤報の謝罪文=朝日新聞支局襲撃で週刊新潮

4月24日11時5分配信 時事通信


 朝日新聞阪神支局襲撃事件の「実行犯」を名乗る男性の手記を掲載し、誤報と認めた週刊新潮の編集部が、殺害された小尻知博記者=当時(29)=の遺族と、現場に居合わせた記者2人にあてた計3通の謝罪文を朝日新聞大阪本社に郵送したことが24日、分かった。同社が明らかにした。
 同社によると、謝罪文は20日付で「手記は誤報であると判明しました。ご迷惑をおかけしたことをおわびいたします」と書かれていた。手記掲載の経緯には触れていないという。
 朝日新聞社は同社に対する謝罪も求めているが、新潮側は応じていないといい、引き続き要求するとしている。


 デマ記事ばかりの新潮。このような週刊誌の本質は事実などどうでもいいとおもっているのだろう。問題なのはそれによって被害を被る人がいるという事実。嘘悪辣な週刊誌など買わない見ない読まないにこしたことはない。もっと価値あるものに時間とお金を費やしたい。
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2009年04月22日

社説2 新潮の「検証」は甘すぎる(4/18)


 週刊新潮の朝日新聞阪神支局襲撃事件をめぐる誤報は、同誌だけでなく雑誌ジャーナリズム全体の信頼性を大きく傷つけた。同誌は最新号で誤報を掲載するまでの経緯を説明したが、信頼を取り戻すに足る説得力ある検証にはなっていない。

 週刊新潮は1月末から4回にわたり、事件の実行犯として名乗り出た男性の実名手記を連載した。その後朝日新聞が手記は虚偽だとする検証結果を発表、男性も「実行犯ではない」と発言するに至った。同誌が誤報と認めたことで、大々的に宣伝した連載全体が作り話だったというとんでもない結論になったわけだ。

 早川清同誌編集長らは10ページにわたる経緯の説明の中で、誤報の最大の原因を「裏付け取材の不足にある」としている。その通りである。

 しかし、どんな取材が不足したか、なぜ取材不足が起きたのか、再発防止のため何が必要か、といった検証はないに等しい。延々と書かれているのは、突きつめれば、疑うだけの確証がないままずるずると男性の虚言に付き合い、「結果的にだまされた」ということだけである。

 これまで、雑誌ジャーナリズム独自の報道が各界の不正を暴く力になってきたのは確かだろう。

 それも反論に負けないだけの裏付けがあってこそである。まして、朝日新聞襲撃は支局にいた記者2人を散弾銃で殺傷するという衝撃的な事件だ。7年前に時効になったからといって、関心が風化してはいない。

 早川編集長は記者に対し、「ニセ者だという前提で取材し、すべてを疑ってかかれ」と指示したという。現実には物証も第三者の証言もなかった。すべてを疑えば、掲載のゴーサインは出なかったはずである。

 「売らんかな」の思惑が、ジャーナリズムの基本をねじ曲げたと受けとめざるを得ない。

 宿泊場所の提供など男性への便宜供与のあり方や連載開始直後から寄せられた疑問に対し、新潮社内でどんな議論があったのか。こうしたことも読者には分からない。

 報道機関が誤報を完全になくすのは不可能かもしれない。しかし、そのことをもって事実を真摯(しんし)に追及することを怠る言い訳にすることは、許されない。

2009-4-18 日経ネット
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2009年03月13日

異体同心事

 悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし。(御書P1463)

(通解)悪は多くても一善に勝つことはない。たとえば、多くの火が集まっても、一水によって消えてしまう。日蓮の一門もまた同様である。


悪を滅して善の連帯をひろげゆきたい。
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2009年01月29日

東京地裁が山崎正友の不当訴訟を粉砕

 創価学会に対する恐喝事件で懲役3年の実刑を受けた山崎正友が、学会と故・野崎勲さん(元学会副会長)らを訴えていた裁判で、東京地方裁判所(高部眞規子裁判長)は28日、山崎の一切の請求を棄却する判決を言い渡し、学会側が全面勝訴した。
 この裁判は、極悪ペテン師・山崎の悪辣な正体を厳しく暴いた野崎さんの「創価新報」の記事や著書『人間失格 こんな悪い奴はいない』に対し、名誉毀損だ等と騒いで不当に訴えていたもの。
 裁判では、以下の6点にわたる山崎の悪行が争点となった。
 (1)山崎が、共産党委員長の宮本顕治邸への盗聴事件を独断で行ったこと
 (2)山崎が、自らの金儲けのために、体調不良の日達法主をクルーザーに乗せ、寿命を縮めさせたこと
 (3)山崎が、賭け麻雀に明け暮れ、賭博罪で逮捕されたこと
 (4)山崎が、大分在住の女性と関係を結んだ後、大金を騙しとり、麻雀賭博の清算につぎこんだこと。同時に、正信会僧の妻とも不倫関係にあったこと
 (5)山崎が、ブラックジャーナリストの内藤国夫が名前を貸して代表世話人となった「民主政治を考える会」を実質的に運営し、ビラの発行で数億円の闇金を手に入れたこと
 (6)山崎が、大石寺所有の遊休地で土地転がしを行い、地元の有力者から5000万円のマージンを取得したほか、墓園工事に絡んで4億とも5億とも言われる裏金を手にしたこと
 これらの事実について、判決は、そもそも山崎の名誉を「低下させるものということはできない」、また「事実の重要な部分は、真実であると認められる」と明快に認定。その一方、山崎の主張については「採用することはできない」と完膚なきまでに粉砕した。
 結局、山崎は、自ら訴えた裁判で、自身の不埒な行状が満天下に暴かれ、その極悪ぶりが判決に永劫に刻印されたのである。
 裁判で山崎は、昨年7月23日と9月3日の2度、計3時間にわたって、厳しい尋問を受けた。
 この中で、学会側が提示した具体的な証拠により、山崎の悪辣なウソは一切が破綻した。山崎は、学会側弁護士の厳しい追及に何度も立ち往生。言い逃れもできず、法廷で無様な醜態を晒した。
 綿密な審理を経て言い渡された、今回の判決は、120ページを超える大部である。それは、山崎の虚構を徹底的に暴き出し、その極悪性を厳しく断罪する内容となっている。
 判決は、山崎のデタラメな主張を、厳しい言辞で裁いている。
 「主張は採用するに値しない」「矛盾する供述」「幾重にも変遷」「不明瞭な供述に終始」「客観的証拠は何ら存在しない」「到底信用することができない」と厳しく処断。
 さらに判決は、これまでに山崎が、学会に対して行ってきた誹謗中傷をも検証。
 「山崎の学会に対する批判的言論の中には、少なくとも本件の証拠上、真実とは認め難いものがある」と明確に認定したのである。
 なお、山崎は昨年12月29日、神奈川県内の病院で急死した。マスコミは「創価学会恐喝で実刑 山崎正友氏が死去」(産経新聞)等と報じた。


2009-1-29 聖教新聞
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2009年01月14日

悪は結託する鋭く見破れ!

 一、古代中国の兵法書は教えている。
 「悪人を一人でも甘やかせば、即座に多くの悪人が結託して悪事を企むようになる」
 悪人は、ずるい。悪は悪を呼ぶ。その悪を見て見ぬふりをする人間も、ずるい。
 悪に対して、黙っていてはいけない。戦わなければならない。
 民衆を利用し、愚弄し、苦しめて、名利を貪るのは、悪である。
 正義の人、功労ある人を、デマで中傷するのは悪である。
 師匠を裏切り、同士を裏切り、信念を裏切るのは、悪である。
 悪は断じて許さない!   その強き祈りで立ち上がるのだ。
 ロシアの文豪トルストイは、弱肉強食の野獣のごとき社会を変えねばならないと憂えていた。そのために精神の変革を訴えた。
 「人間の悪は人間によって滅ぼされるのであり、そのことにのみ人間に課された課題があり、人生の意義があるのです」と。
 たとえ偉そうな格好をしても、悪の本性は醜い。陰湿で、欲深く、利他の行動もない。だまされてはいけない。
 悪を悪と見極めなければならない。
 中国の兵法書『尉繚子』には、「賞罰を明らかにするのは、悪を根絶するためである」とあった。
 一人の悪人が野放しにされれば、千人の善人が損をする。悪人は叩き出すのだ。
 師弟という原点に立ち、皆が団結してこそ、広布破壊の悪を根絶することができる。
 不惜身命の信心で進むのだ。正邪の決着は、必ず厳然たる現証となって現れる。


2008-1-13 聖教新聞
新時代大25回本部幹部会 第13回全国青年部幹部会 名誉会長のスピーチ(下) 2009-1-8 


 己心の中の悪、社会の中の悪、他人の中の悪を見破るには、好き嫌いや感情的になったりせず、冷静沈着に物事を見極め、何と言っても「師匠」の指導根本、御本尊根本にしなければ不可能であるし、判断を誤るでしょう。ゆえに自ら師匠のご指導に感謝し、師匠のお言葉を一文字も漏らさぬよう心したい。師弟なくして破邪顕正はない!


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2009年01月12日

仏法の正邪を決する一年に

 一、建治2年(1276年)の正月の11日。大聖人は御手紙にしたためられた。
 「今年は殊に仏法の邪正たださるべき年か」 (御書P893)と。
 今年は、特に、仏法の正義と邪悪が明確にされるべき一年であろう、との仰せである。
 一年また一年、正邪を明快に峻別する。そして、正義の勝利の証を、堂々と、厳然と、打ち立てていくことだ。この「破邪顕正」「仏法勝負」の魂こそ、学会精神の真髄である。
 大聖人は「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」 (御書P762)と仰せである。
 唱題に励み、広布を進め、さらに、人々を不幸に陥れる悪を責めてこそ、自分自身の生命の悪を滅する事ができる。それが功徳である。悪と戦ってこそ、功徳が生じるのである。

新時代大25回本部幹部会 第13回全国青年部幹部会 名誉会長のスピーチ(上) 2009-1-12 聖教新聞


 今年は、二つの大法戦が迫っています。人を不幸にする悪の根源を徹底的に攻め抜く覚悟で戦ってまいります。折伏精神で大いに語って語り師弟の絆をつくりたい。
posted by 元 at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 破邪顕正 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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