2009年08月07日

己心の一凶

 いかなる戦いも「遅滞」「散漫」「後手」では、流れはできない。何よりも、そうした戦いの起点に、逡巡の気持ちがあれば、力を出し切れないものだ。
 ナポレオンは、それを痛烈に訴えた。
 「成功を確信するものは成功する。決して成功の如何を疑うことなく、必ず成功すべしと確信せよ」
 迷うことなく突き進め!恐れなく前へ前へ!
 そうすれば、結果は必ず、わが方についてくる。
 本当の敗北は、環境や状況に左右され、「勝つ!」と決められない一念の甘さ、弱さにこそある。
 その己心の一凶を破ることが、真の勇者の条件だ。


2009-8-6 聖教新聞 随筆 人間世紀の光 196


 「池田先生に一瞬に見抜かれた」そう感じた件でした。痛かった。もの凄く厳しいと感じました。
 今、莫大な目標の中で決意しきれていない自分を知りつつ、深い霧の中を闇雲に突っ走ってる状態です。心の底で「どうせ無理だ」と溢している自分がいる。そして、「やれるだけやればいい」と高をくくっている自分もいる。その程度の一念では変われないと知りつつ。
 本当に嫌になる。自分の甘さには。 しかし、怠けているわけではないのです。戦ってもいます。でも、そうではないのですね。
 自身の一凶との真剣勝負で、必ず、必ず勝ちたい。
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2009年07月23日

日女御前御返事

【本文】
 彼の漢王も疑はずして大臣のことばを信ぜしかば立波こほり行くぞかし、石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、何に況や仏法においてをや(御書P1245)

【通解】
 あの漢王(光武帝)も、臣下の言葉を疑わずに信じた故に、それまで波の立っていた水面がたちまちに凍っていったのです。石に矢が立ったのも、父のかたきと信じた李広の一念の強さ故です。まして、仏法においてはなおさらのこと、信ずる一念の強さが大切なのです。

 
 次の戦いは逆風のなかの嵐みたいなものです。どんなに風が強くても、揺るがない確信でのぞみたい。絶対に負けない強き一念を湧き立たせ、勇気を奮起こしがむしゃらに突っ走るのみ!
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2009年05月14日

善無畏三蔵抄

仮令強言なれども人をたすくれば実語・語なるべし、設ひ・語なれども人を損ずるは妄語強言なり(御書P890)

【通解】 たとえ強く荒い言葉でも、人を助ければ真実の言葉であり、柔らかい言葉である。たとえ柔らかい言葉でも、人を誤らせれば偽りの言葉であり、強く荒い言葉である。


 相手を幸せにしたいという一念から出た真実の言葉であれば伝わります。悪意がある言葉であればそれも伝わります。心の本当の一念が大切であり、相手を本当に幸せにしたいと祈れる自分でありたい。
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2009年04月16日

崇峻天皇御書

 人身は受けがたし爪の上の土人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名をくたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ(御書P1173)


(通解) 人間に生まれてくることは難しく、爪の上の土のようにまれであり、その身を全うすることは難しく、草の上の露のようにはかない。120歳まで長生きしても、悪い評判を残して一生を終わるよりは、生きて一日でも名をあげることこそ大切である。



 その日に賭けるおもいが大切です。今一瞬の一念が重要なのです。広宣流布を進めようとの一念と一念のつながりが価値ある人生をまっとうできる。燦々と光り輝く栄光の人生を歩みゆきたい。
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2008年12月31日

一念が強ければ人生は楽しい

 我が身中の心

 「我が身中の心を以って仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり」 御書P563
 担当者が解説した。「仏というも、法というも、浄土というも、わが命の中にあります。これを自分の外に求めていくことを迷いといいます」
 会長は講義を続けた。
 「『我が身中の心を以って』とありますが『我が身中』とは生命です。
 その生命といっても、煎じ詰めてみると、一念の作用になってきます。その『心』という意味です。唯心主義における『心』という意味は、まだ浅いのです。
 ここに説かれている仏法上の『心』という意味は、生命の本質、生命活動をせしめていく一念、その『心』と拝さなくてはならない」
 会長は、仏法の本質に言及した後、さらに具体的に展開した。
 「『心の外に法無きなり』 御書P561 『一身一念法界に遍し』 御書P412。 この生命といえども、煎じ詰めれば一念であると他の御文にも説かれています。確かに自分の一念が、または生命力が強ければ人生は楽しい。自分の一念が邪悪であれば、何を見ても畜生界に見えてくる。これは事実でしょう。
 月給をもらって嬉しい時には、なんとなく、見えるものすべてが浄土、天上界です。お金が一銭もない時には、何を見ても憎らしい(笑い)。ぜんぶ一身一念の作用よって変わってくる。唯心論よりも、もっと深く、もっと偉大なる宇宙の本体、生命の本質の原理を説かれているところです」

2009-1 大百蓮華 P41


 今年は信心に始まり信心に終わります。あっという間の一年でした。
 ブログという新しい挑戦もできました。創価大道の小野さんをはじめ、斧版で知り合った先輩方に大変感謝しています。
 今年最後のタイトルは『一念』です。何故『一念』なのか。それは、今年この『一念』で勝利し、また『一念』で悩んだからです。
 この大百に掲載されている先生の講義ですべて晴れました。明確かつ正しく強い一念がなければ、自分の弱い心や縁によって紛動されてしまいます。来年の「青年・勝利の年」と銘打ってくだされたこの年の根本である私の『一念』は、「師匠と共に広宣流布」です。絶対に揺るがない強き一念で勝負し、絶対勝利の大確信で前進してまいります。

 最後に私のブログに訪れてくださった、皆様の幸せと益々の発展をご祈念いたします。ありがとうございました!
posted by 元 at 02:16| Comment(2) | TrackBack(0) | 一念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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