2009年07月31日

三世諸仏総勘文教相廃立(総勘文抄)

【本文】
 生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども虚空も広からず心法も狭からず(御書P563)

【通解】
 生と死というものは、九界の迷いのなか、あたかも夢の中での立て分けなのであり、それは凡夫の迷った、ひっくりかえった考えなのです。仏の覚めた悟りから生命を究明していけば、生まれてくる初めもなく、したがって死んでいく終わりもないのです。いわゆる生死というものからは超越しているのが生命です。ですから、生命そのものは人間世界が破滅するとき起こる大火にも焼けず、どんな水害にも滅びません。また刀でも切ることができず、弓矢で射ることもできません。さらに生命というものは、極めて小さいケシのなかに入れてもケシが広がるのでもなく、生命が縮まるというのでもありません。大空に満ちわたらせても、大空が広すぎるということもなく、生命が狭すぎるというものでもないのです。


 凡夫ゆえに生死に一喜一憂してしまう。そして感情に支配され、流されてしまう。しかしながら、凡夫である以上そこに悩むことに意味があるとおもう。その悩みを糧にできるのがこの信心であるから。今までの私であれば過ぎ行く一つの事件で終わっていたはず。今は違う。簡単に流してはいけないとおもえる。生命の存在に気づきはじめたから。縁という触発しあえる歓喜をいただけたのだから、大切にしなければならないとおもえる。一つ一つの出来事や縁に感謝したい。生命というものを理解していくなかに本当の幸福への道が見えてくるようにおもう。そうであるならば、なおさら題目を上げ抜いていかねば。生命が曇らぬように。
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2009年07月29日

上野殿御返事

【本文】
 相かまへて相かまへて自他の生死はしらねども御臨終のきざみ生死の中間に日蓮かならずむかいにまいり候べし(御書P1558)

【通解】
 よくよく心して、自分についても他の人についても生死はわからないでしょうけれども、御臨終のさいに、また生死の中間には、日蓮がかならず迎えに行ってあげましょう。


 この御文を読んだ瞬間に涙がでました。日蓮大聖人のおもいが広大な海のように感じました。私たちの師匠のおもいも同じなのでしょう。ありがたいですね。偉大な師匠に縁ができたことが最高の幸せなのかもしれません。
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2009年07月25日

生死

 今日、猫を車で引いてしまった。即死だった。唖然として、この事実をどう捉えていけばいいのかわからなかった。
 私のまわりには、猫を大好きなかたがたくさんいらっしゃいます。正直ブログに書くか迷いました。
 猫の命も一つの生命であるならば、かけがえのない命。ですが、私はどこか遠くの死のように感じました。当事者であるのにも関わらず。
 もし、私自身可愛がっていた猫ならもの凄く悲しんだとおもいます。
 遠くの国でテロで多くの方々が亡くなっているニュースを見ているような、そういう感覚でした。
 その違いは何なんでしょうか。私は考えました。様々な縁を通じて植物や、動物、お金や、環境、そして人とのつながりの深さで感じ方が変わってしまうのではないかと。
 御聖訓に『 一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし(御書P758)』とあります。日蓮大聖人は、一切衆生の苦は自身の苦であると仰せです。一切衆生には当然、会ったことも見たこともない人も沢山います。日蓮大聖人は、どんな人々にも深いつながりを持っていたことになります。 私は、日頃勤行の中で、『世界の平和と一切衆生の幸福』を祈っていますが、経本に書いてあるから祈っている仕草だけではないかと自答しました。惰性の祈りだから今回の事もその程度にしか思えない自分だと、猫が教えてくれたのかもしれません。しかも、自分の身を投げてまで・・・。そう思えたときにはじめて悲しみが湧いてきました。心からの悲しみでした。そして、その猫に感謝の念が込上げました。ありがとう。 南無妙法蓮華経 ――― 。
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2008年12月28日

今日の名字の言

▼御聖訓には「一日の命は全宇宙の宝よりも尊い」(御書986ページ、趣意)と。では、この尊い命を何のために使うべきか。仏法では、法のため、人のため、社会のために使うところに、最高に価値ある人生が生まれると説く。日々の学会活動が、まさに、それに当たる▼友と会い、語り、励ます毎日が、いかに、わが生命を福徳で輝かせるか胸に刻み、広宣流布の活動に勇んで進みたい。

2008-12-28 聖教新聞


 生命は誰もが持っているものです。その生命の中に仏があります。その仏性を湧現しゆくことが誰にもできるのです。心の中の仏性を輝かせたい!
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