2009年12月24日

あるメンバーさんのお母さん

 以前からかかわっている欝の病を持ったメンバーさんから昨夜電話があった。 「母が心筋梗塞になって、救急車で病院に運ばれた」とのことだった。
 私はすぐ行こうと告げ、メンバーさんと一緒にその病院へ向かった。
 病院へ着くと、メンバーさんのお姉さんがいて、状況を聞きました。
 いつもと違い呼吸が乱れ、本人は大丈夫だからと言っていたようですが、顔は青ざめただごとではないと救急車を呼んだそうです。
 医者の説明では、心筋梗塞の疑いと肺に水が溜まって溺れてる状態に近い状況だということです。心肺機能はかなり弱っていて血栓が細い血管に詰まりそうで、その血栓が脳に流れれば脳梗塞の恐れもあるとのこと。ICUで治療を受け今は落ち着いているから今面会できると。
 お姉さんと、メンバーさんと、私で面会しました。
 お母さんの顔を見た瞬間に涙が溢れでそうになったが、必死でそれを抑えました。



 そのメンバーさんは、私が入会して間もない頃、そのメンバーさんのお父さんが亡くなられ葬儀のときに会うことができた方です。
 それから、うつ病であることを知り面識もでき家庭訪問するようになりました。 彼は一ヶ月間は欝で誰とも話せない時期があり、3,4日から一週間ぐらい会える期間がありました。
 毎週通う中で、本人とはあえませんでしたが、そのお母さんと会って話を30分から1時間していました。
 はじめの頃は、インターホン越しにカスれた声で嫌悪そうに「寝てるよ」ガチャンと切られ、そんな感じでしたが、毎週行くたびにちゃんと玄関まで出てくれるようになりました。
 
 祈っても祈っても、状況は良くならず、ある日決意して勝負しました。
 お母さんに、家に上がらせて貰えないかとお願いして、会って話がしたいんです と、おもいを告げました。 すると、お母さんは、少し間を開けたあと「いいよ」と承諾してくれました。
 部屋に入ると、窓はカーテンで閉めたっきり、御本尊様もしばらく開けてないかんじで、埃がつもっていました。布団にもぐりこんで横になっていました。そして、こちらに背を向けた状態で話をしました。 
 今話しても大丈夫ですか?と聞くと、あんまり話したくないと言いました。 勤行を一緒にしませんか?と聞くと、いや無理ですと。それでは三唱だけ付き合ってくださいとお願いすると。それだったらと、むくっと起き上がりました。 私は、カーテンを開け、お厨子を開け、一緒に三唱しました。

 それから、一週間後、彼から電話がありました。 父が亡くなった後から、彼とお母さんは遺族年金で暮らしていたそうです。実は家賃を払えなくなっており、もう出てくれと大家さんに言われたそうです。
 それを聞いた私は何とかしようと役所をまわりました。 住む所が無くなった人たちが暮らせる施設があることを知り、それを話しました。
 二人で暮らせる所は埋まっていて、別々になってしまうとのことでした。 お姉さんと話をし、お母さんを引きとってもらえないかとお願いしました。すると、大丈夫ですと。
 そして、最後の座談会にお母さんが参加して、「元さんには本当にお世話になりました」と話してくれた瞬間に、もう涙を抑えることは出来ませんでした。

 彼は、車で3、40分くらい離れた施設に入り、お母さんは、お姉さんのご家族と一緒に暮らすことになりました。

 それから、彼は変わりはじめました。その彼に会いに行くと彼が、「元さんの地区に帰る」と言いました。そして、彼は自ら仕事を探し、就職しました。そして、本当に帰ってきたのです。
 欝も3,4日調子悪いときはありますが、一ヶ月ぐらいは大丈になりました。
 


 そんな記憶が、お母さんと面会したときに頭の中を廻りました。
 お母さんは、息が苦しいのに、「大丈夫だよ。明日は仕事でしょう。もう、帰りなさい」と、そんな状況にもかかわらず、こちらのことを心配してくれました。
 それから、お姉さんの家で犬を2匹飼っているみたいで、お母さんが、その犬が可愛くて可愛くてたまらないと言ったあと、「こんなことを感じるなんて、私はもう死ぬかもな」と。

 そのお母さんが死ぬかもしれないという状況に直面したときに、わたしは、悲しみ、苦しみ、絶望、嬉しさ、心配、希望、後悔、願い、感謝。そんな感情が一気に出てきた。
 

 面会が終わり、車の中で彼は、お金が心配だと言った。入院するお金が工面出来るかどうかと。

 私は今読んでいる「山びこ学校」と重なりあった。

 今までの自分であれば、そんな時にお金なんてどうなの?とおもっていたはず。

 その考えは、貧困を知らない自分の愚かさでしかないと今はおもう。

 彼が、そういったとき、私は何も言えなかった。



 
posted by 元 at 16:34| Comment(10) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月24日

 母は、子を産み、その幸せを願い、命がけで育む。母には、子を叱る権利がある。
 ゆえに、世の悲惨に敢然と抗議する資格があるのだ。いや、母なればこそ、世の悲惨を、不幸を、不正を、邪悪を、断じて許してはならない。母なればこそ、決然と立たねばならない。母の力は強い。母こそが、すべてを変えることができる。
 「母」の詩は、次の一節で終わっている。
  
 今からは
 今日からは
 あなたの あなた自身の変革による
 思想と聡明さをもって
 わが家に憧憬の太陽を
 狭く薄暗い社会に明朗の歌声を
 春を願い待つ地球上に
 無類の音楽の光線で 平安の楽符を
 伸びのびと奏でてほしいのだ
 その逞しくも持続の旋律が
 光と響の波として彼方を潤すとき
 あなたは蘇生しゆく人間世紀の母として
 悠遠に君臨するにちがいない

2008-12-24 聖教新聞 新人間革命 新世紀31
posted by 元 at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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