2008年12月23日

普遍的真理を説く仏法

 ご存知の方も多いかと思いますが、仏法の第一歩においては、人生を苦の集積であると説いています。生まれ出る苦しみ、老いる苦しみ、病気の苦しみ、そして死ぬ苦しみに代表されますが、愛する者といつかは別れなければならない苦しみ、求めても得られぬ苦しみ等々、人生には苦しみが充満していると説くのであります。
 楽しい時間というものは早く去り、そして必ず壊れていく。それを失う悲しみが加わって、苦しみを感ずる時間は長い。社会に広がっている貧富の差、人種、風俗の差は、人に楽しみを与えるよりも、苦しみを実感させているように私には思える。
 ではなぜ、人は人生に苦しみを感ずるのか。それは「無常」ということを知らないからであると、仏法では教える。無常とは、あらゆる宇宙、人生の現象で、常住不変のものはないということであります。その原理を知らないところから、苦しみが起こるというわけであります。
(中略)
 仏法は、これら無常の変転を明らかに見つめよと説く。むしろ偉大なる勇気を持ってこの事実を受け入れなければならない、と主張しているのであります。事実から目をそむけ、変化する無常の現象を追いかけるのではなく、冷静にその事実を受け止めるところから、真実の悟りへの道は開けるといえるのであります。
 人生は無常であり、そのゆえに苦の集積であり、更にこの現象の肉体を持つ自己自身も、必ず死ななければならない。その死を恐れずに見つめ、その奥にあるものをとらえることを、仏法は教えております。
 先ほども申し上げたとおり、無常の現象にとらわれ、煩悩のとりこになるのは、決して、愚かな行為と片付けることはできない。というより、人間の生ある限り、生命の存在がある限り、生に執着し、愛を大切にし、利を求めるのは、自然な感情だからであります。従来、仏教は、煩悩を断ち、欲を離れることを教えるものとしてとらえられ、文明の発達の対極にあるもの、それを阻害するものとさえ考えられてきた。
 こうしたことは、無常を強調する一側面が浮き彫りにされたものであり、これだけが仏教のすべてであると考えるとしたら、仏教の一面的な評価にすぎないと言わざるを得ません。

1974-4-1 アメリカ、カルフォルニア大学ロサンゼルス校 講演 池田大作


 無常を知る事、そして、苦悩を受け止める勇気、この信心でそれが学べ実践でいきると確信しました。広宣流布とは人間の権利であり希望の光であると思う。
posted by 元 at 02:24| Comment(2) | TrackBack(0) | 無常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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