2010年08月09日

正義について

 今の社会の正義は「金」である。これは間違いないことだ。資本主義社会の中で企業が権力者である。そして民衆は企業の奴隷と化している。 
 
 産業革命以来私たちは生活の豊かさを求め大量生産し、大量消費してきた。心の豊かさをかえりみず。そして弱者から利益を奪い取る。正義の名のもとで戦争が正当化されている。罪なき民衆の命が苦しみと共に消えていく。

 正義とは何だ。正義より大切ではない命がどこにあるのだ。自分たちの正義など偽物である。正義という言葉の裏には必ず排他的意識が潜む。それを打破できる正義があるのだろうか?
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2009年09月17日

米、東欧でのMD計画撤回 オバマ大統領がチェコ首相に伝える


 【ウィーン=岐部秀光】チェコのフィッシャー首相は17日、米政府が同国とポーランドの間で進めていた東欧へのミサイル防衛(MD)計画の推進を取りやめたことを明らかにした。核軍縮などで協調を探るロシアが、MD計画に反発していることに配慮したものとみられる。ロシアは決定を歓迎する公算が大きく、年末までの合意を目指す新たな核軍縮交渉が進展する可能性もある。

 フィッシャー首相はオバマ米大統領から16日深夜に電話を受け、決定を伝えられたと説明した。17日にはタウシャー米国務次官がポーランド、チェコを相次ぎ訪問して米政府の立場を伝達。計画推進の根拠としていたイランによる長距離弾道ミサイルの開発が当初の予想ほど進んでいないことを見直しの理由としているもようだ。

 ただ、ポーランドのシュチグウォ前国防相は「米国の長期的な対欧州政策からみて、軍事面だけでなく政治戦略上の大きな後退となる」と指摘し、懸念を表明した。

2009-9-17 日経ネット

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2009年05月26日

長崎原爆並みの威力か=短距離ミサイルも発射−国際社会、一斉に非難・北核実験

5月25日20時18分配信 時事通信

 【ソウル、モスクワ25日時事】北朝鮮が25日強行した核実験の爆発規模が、最大で長崎型原爆並みの20キロトンである可能性がロシア国防当局などの観測で浮上した。実験の成功が正式確認されれば、2006年10月の前回実験(1キロトン未満)をはるかに上回る威力で、北朝鮮は核開発能力を一段と高めたことになる。日米韓など国際社会はこれに対し、「国際平和と安全への脅威」(オバマ米大統領)などと一斉に非難の声を上げた。
 韓国の李相憙国防相は同日の国会答弁で、核実験の爆発規模について、1キロトン以上から最大で20キロトンと指摘。ロシア国防省当局者も監視施設の観測情報を基に「10−20キロトン」との見方を示した。同国が今後、ミサイル搭載が可能となる小型化を目指し、核実験を繰り返すとの観測も出ている。
 韓国合同参謀本部によると、北朝鮮は同日午後、咸鏡北道舞水端里から1発、江原道元山周辺から2発の短距離ミサイルを日本海に向けて発射した。日米の偵察機の飛行を妨害するのが目的とみられている。
 国連安全保障理事会は日本時間26日午前に緊急会合を行い、対応を協議する見通しで、北朝鮮への新たな制裁措置を定めた新決議採択を視野に各国の外交的駆け引きも本格化しそうだ。
 北朝鮮は事前に米国や中国などに実験実施を事前通報していたとされる。ただ、中国外務省も「国際社会の反対を無視して再び核実験を行った」とし、「断固として反対する」との声明を発表、国際社会の懸念に同調した。ロシア外務省も決議違反と非難した。
 今後は安保理での協議に焦点が移るが、北朝鮮の友好国である中ロが厳しい対抗措置に難色を示すことも考えられ、新決議採択に向けて調整の難航も予想される。 


 北朝鮮は「核兵器」というハードパワーで他国を威圧し自国の力を誇示しようとしている。ゆるせることではない。怒りがこみあげる。
 どれだけ他国から支援を受けているのか。
 一人の人間を必死に助けようとしている方々のおもいを感じたことがあるのだろうか。
 北朝鮮の国の方々は本当に貧しい生活をしています。核に金をかけるならもっと国民に支援をしてほしい。
 しかしながら、今、世界の国々が北朝鮮を通して、世界平和のありかたを問われているのかもしれない。このような国に武力や経済力で制裁するのか、対話に時間を掛けソフトパワーで解決の道をさがしていくのか。
 ハードパワーをハードパワーで押さえつけても、結局ハードパワーの恐怖からは抜け出せない。それでは悪のサイクルを抜け出す事はできないでしょう。
 悪の連鎖を断ち切るソフトパワーに目覚めなければならない時期にきているのではないのでしょうか。
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2009年04月14日

新・人間革命 波濤1


 「人間主義とは、皆がかけがえのない存在であるという哲学だ。そして、皆を人材として磨き抜いていくことだ。それができるのがわが創価学会である。さあ、人材を育てよう」
 一九七五年(昭和五十年)七月三十一日、ハワイでの一切の行事を終えて帰国した山本伸一は、開催中の夏季講習会の報告を聞くと、側近の幹部たちに力強い声で語った。
 広宣流布の未来を開くために、何よりも必要なのは、新しき人材である。あの地、この地に、幾重にも連なる、雄々しき人材山脈をつくることが、伸一の熱願であった。
 夏季講習会は「希望と成長の講習会」をスローガンに掲げ、七月二十九日に、東京・八王子の創価大学をはじめ、北海道から沖縄までの全国十六会場で開講式が行われた。
 一昨年まで、夏季講習会は、総本山だけを使って行われていたが、より多くのメンバーが参加できるようにするために、昨年から、全国各地に会場が設けられたのである。
 この七五年の講習会は、期間は八月下旬までの約一カ月間で、会場も、最終的には全国三十四会場を使用し、約二十万人が参加することになっていた。
 伸一は、早くも八月二日には、創価大学で講習会の陣頭指揮を執っていた。
 翌三日には、講習会の一環として行われた、人材育成グループ「五年会」の第三回総会に出席し、「諸法実相抄」の一節を拝して指導。なかでも「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書一三六〇ページ)の個所では、師弟論に言及していった。
 「日蓮大聖人と『同意』であることが、信心の根本です。その大聖人の御心のままに、広宣流布の大誓願に生き抜いたのが、牧口先生、戸田先生に始まる創価の師弟です。
 ゆえに、創価の師弟の道を貫くなかに、大聖人と『同意』の実践があります。具体的な生き方でいえば、自分の心の中心に、常に厳として師匠がいるかどうかです。また、師と向かい合うのではなく、常に師匠の側に立ってものを考え、行動していることです」

2009-4-14 聖教新聞 新・人間革命


 先日、創価大道にて人材の定義が掲載されていました。
深い思索と研鑽の積み重ねからくるものであると感じました。
 私はもっと悩み自身の邪悪と戦い真の人間革命しゆける人材になりたくおもいます。挑戦!挑戦!挑戦!あるのみ!師のお心を感じ、師と共にとのおもいで前進いたします。
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2008年12月30日

新世紀 35

 誠実な心、誠実の対話――そこに、友好の信義の絆が生まれる。人間主義とは、誠実を貫く、人間の王道のなかにある。

2008-12-29 新人間革命 新世紀35


 友人と誠実な対話を展開しています。友人の幸せを祈りつつ、共に成長し共に歩んでいきたい。
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2008年12月22日

言論嫌うのは人間嫌いと同根

 ところで、ヒューマニズムを言う限り、最大の武器、コミュニケーションの手段が対話 ―  人類史とともに古くて新しい課題であり続ける対話に帰着することはいうまでもない。古来、“対話的存在”であることは、人間の本質に根ざし続けており、対話が途絶することは、人間が人間であることをやめるに等しい。いうなれば、対話なき社会は墓場といっても過言ではありません。
 古くはソクラテスが「およそ人の心がおちいる状態で、この、言論を忌み嫌うということほど、不幸なものはありえない」(藤沢令夫訳「パイドン」、『世界古典文学全集14 プラトンT』筑摩書房)として、言論嫌い(ミソロゴス)を人間嫌い(ミサントローポス)と同根としました。
 また近くは、例えば、昨年亡くなったドイツの碩学カール・フォン・ヴァイツゼッカー氏(私が会談したドイツ元大統領の長兄)は、「人間とは共に生きるための、人生の対話者という存在である」(小杉尅次・新垣誠正訳『人間とは何か』ミネルヴァ書房)と喝破しております。
 この種の証言は枚挙にいとまがなく、それは、言論や対話が、いかに人間を人間たらしむる本質的要件であるかを物語っております。人間が善き人間であろうと、つまり叡知人(ホモ・サピエンス)たらんとすれば、同時に言語人(ホモ・ロクエンス)として、対話の名手でなければならない。
 特に、対話と対極に位置する狂言や不寛容の歴史を引きずる宗教の分野にあっては、ドグマを排し、自己抑制と理性に裏打ちされた対話こそ、まさに生命線であり、対話に背を向けることは、宗教の自殺行為といってよい。したがって、仏法を基調とする人間主義を推し進めるにあたって、いかに狂言や独善、不信といった問答無用(原理主義)の壁が立ちはだかろうと、この、対話こそ人間主義の“黄金律”であるという旗だけは、断じて降ろしてはならないと訴えておきたいと思います。
 途中で途絶しては対話とはいえず、真の対話は、間断なき持続的対話として貫徹されねばならない ― こうしたホモ・ロクエンスの進化を発揮するには、相応の間断なき精神闘争を要するはずです。
 それには、人間の「強さ」「善良さ」「賢明さ」など美質が、総動員されなければならない。そして、真の宗教は、それら美質を顕現させゆく駆動力でなくてはならない。すなわち「人間革命の宗教」でなければならないというのが、私の変わらぬ信念であります。故に、ハーバード大学での講演※でも、その点を踏まえ、21世紀文明に果たすべき大乗仏教の精髄について、論及したのであります。


http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/achievements/library_01.html
2008-1-26 第33回 「SGIの日」記念提言 「平和の天地人間の凱歌」


 人間のための宗教であり哲学であるからこそ本当の人間主義なのです。対話ではじまり対話で終われる人生でありたいと願う。
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