2008年12月09日

新世紀19

新世紀19
 青年の一人が、頷きながら語り始めた。
 「大聖人は『佐渡御書』で、弾圧を恐れた弟子たちの言い分を、『日蓮御房は師匠にておはせども余にこは(剛)し我等はやは(柔)らかに法華経を弘むべし』(御書九六一ページ)と記されている。つまり、彼らは、“大聖人は自分たちの師匠ではあるが、その折伏の方法は、あまりにも強引すぎる。だから、迫害も起こる。自分たちは、もっと柔軟に法を弘めよう”と言うわけです。
 一応、言い分としては、弘教の方法論への批判というかたちをとっているが、その本質には“大聖人の生き方はこうだ。しかし、われわれは別の生き方をしよう”という、師匠への“離反の心”がある。それは、無自覚ではあっても臆病な心から起こっている。
 五老僧の場合も同じだ。“あれは日興の生き方だ。われわれとは生き方が違う”という姿勢だ。実は、この“心”こそが、退転の元凶ではないだろうか」
 青年たちの語らいは深まっていった。
 「牧口先生の時代も、皆、御書を拝していたのだから、難があるということは、当然、知っていたはずだ。しかも、当時の座談会にも特高刑事が来ていたわけだから。
 ところが、牧口先生、戸田先生が投獄される。自分たちも、逮捕されるかもしれないという恐怖感をいだくようになる。また、先が見えず、未来に希望がもてなくなる。
 それで“自分たちは自分たちでいこう。牧口先生の生き方では駄目だ。違った生き方をしよう”ということになる。ここに、師弟の道の逸脱があり、信仰者としての破綻があったのではないか」
 このとらえ方は、正鵠を射ていよう。大聖人は、信心の肝要を「自他彼此の心なく」(同一三三七ページ)と述べられている。
 “どこまでも広宣流布に進む師匠と共に、同志と共に”という異体同心の一念、師弟不二の一念を失う時、信心の軌道から外れ、瞬時にして信仰は破壊されてしまう。そうなれば、無明の深淵へと転落していくことになる。

2008-12-9 聖教新聞 新人間革命 新世紀19より転載

師匠のお心を感じ、志を知り、共に戦いきらねばならない。我見を廃していかねば退転してしまうでしょう。悪をせめきれないのは師匠の正義を貫けないのと同じです。師匠を裏切ることと同じです。心して師弟不二を貫いていきます。
posted by 元 at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 退転の元凶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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