2010年03月03日

父の癌

 先日から父の身体の具合が悪く病院で検査しました。 
 検査結果は肝臓の数値が悪くCTやMRIから、胆管(肝臓から十二指腸まで胆汁を運ぶ管腔構造物の総称である)の途中で胆汁の流れが悪くなっていて、結石か癌でしょうとのことでした。 そしてその他の検査結果で判断するに95%の確率で癌と告知をうけました。
 しかしながら、早期発見でステージ1か2なので手術で切除すれば完治の可能性は高いそうです。 その手術自体は場所的に内臓の奥にあるらしく手術的には難しいと。
 その告知を、父と母と妹と立ちあいました。 父は少し落ち込み、母と妹は動揺していました。 私は意外と平静をたもてました。実際助かる可能性は高く、まだ死んだわけではなくて、今生きているし、これからどう癌と向き合うかが大切なのだからと思った。

 今、そのことを振り返って、父は後どれくらい生きるのだろうか?とか、今までの父との思い出や、父に親孝行できるのも時間があまりないことや、父の癌によって母や兄弟への影響の心配や、手術に向けての様々な準備など考えています。 
 
 私の中に悲しみや悲嘆はなかった。恐怖もなく、何が出来るのかしかなかった。 実際私の部長の父は余命6ヶ月の告知をうけていて、その中で戦っていて、世の中にはもっと過酷な状況下で苦闘している人もいるわけで、むしろ現状、可能性がある事実へ感謝し、そうおもえるようになったこの信仰への感謝です。今素直に父へ親孝行したいと思えることが奇跡だから。
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2008年11月26日

父との闘争

私は父に言いたいことが言えない人でした・・・

生まれてから小学校低学年までは自由でした。両親は仕事で忙しく祖母に面倒みてもらっていました。楽しかったと私は思う。体は小さかったが、気は強く喧嘩もよくし、よく遊んでいたと記憶しています。
小学校半ばごろ今思えば仕事が大変になっていたんだろうと思いますが、父が厳しくなってきたのはこの頃からでしょう。感情や気分で怒る父に豹変していきました。勉強しろ!今日は走ったか?と父が決めたことをやらなければ体罰という理不尽なことばかりです。嫌で嫌でたまりませんでした。なぜこんなに嫌なことをしなければならないのか?小さいながらに思っていました。父の体罰は、母親や兄弟にもおよんでいました。でも怖くて何もできない自分。今でも覚えているのが、風邪をひいて咳きがとまらなかったとき、「うるさい!外に出ろ!」と家からほうりだされたこともありました。小学校高学年のときには、父に殺されるか、自分が殺すかどっちかだと考えていました。でもそんなこと出来るわけでもなく、ただただ耐えるしかありませんでした。母親はそのかわりやさしかった。しかしただなんでも与えてくれるだけでした。そこが自分の逃げ道になっていました。中学になってもかわらずでした。三年の夏休み父の事業が倒産、夜逃げ状態で東京に出てきました。それまでの仲良くしていた友人に別れも告げずに・・・悲しかった。凄く悲しかった。友が一番理解してくれていました。連絡先もわからないまま。
父を恨みましたよ。東京に出てきてまずしたのが、父の仕事の手伝いでした。辛かった。建築の現場での肉体労働でした。行きたくないといったらまた体罰です。早くこの家から出て行きたい。それだけ願っていました。高校を卒業しました。そのころには父はなにもいわなくなっていました。それから専門学校にいきました。我慢することがなくなった自分はそれから好き勝手にやりたい放題でした。そして就職。すぐに一人暮らししました。父に心を開くことはもうないとおもっていました。
そして妻と結婚。時は流れて創価学会に入会しました。
そして先輩にそろそろ学会宣言をしてみたらどうですか?といわれました。いやでしたが、やってみなければわからないのでやろうと思いました。その時ふと頭に浮かんだのが父でした。一番言いたくない相手でした。父は大のアンチ創価学会です。初めて真剣に祈りました。父と二人で話す機会などほとんどなかったので。絶対に言うからチャンスをくれと。
ビックリしたのが次の日でした。父が脳梗塞で入院したのです。しかも、症状は軽くただ1週間だけ入院するという事でした。御本尊様がチャンスをくれた。そうとしかいいがたい。偶然かもしれませんが、じぶんのなかでは、御本尊様が約束を守ったとしかおもえませんでした。あとは私が約束を守る番です。怖かった。話すのがこわかった。ですが、勇気をもって次の日に話しました。2時間話しました。入るまでの経緯、学会の人たちの温かさなど。後で母から聞いた話ですが、かなりショックだったらしい。ですが私は一番言いづらい父に一番言いたくない事を話せた。これは父とのしがらみからの開放を意味していました。父になんでも言えるようになったのです。怖くないのです。それから父を折伏しようと、聖教新聞のいい記事をみせたりしました。ですが父はそれからしばらく口を聞いてくれません。私は気にしません。会うとおはよう!と元気よく笑顔であいさつしました。また話すようになると信心の話し。それの繰り返しでした。ですが、今年の本幹で先生が「親を折伏するなんてとんでもない」と仰りました。そして「親孝行しなさい!」と。私はハッとしました。なんて傲慢なんだろうと。でも涙がでました。それからは、父には親孝行しようと決意しました。
今では父は私にニコニコしながら話しかけてくれます。
私は学会宣言を通して沢山学びました。
御本尊様への確信、広宣流布の功徳、苦手なとこへ挑戦してこそ沢山功徳をいただける事、先輩が指導してくださることのありがたさ、そしてなにより先生の御金言の素晴らしさです。報恩感謝します。

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