2010年10月02日

脈動

 師の意図に叛く考えはさらさらないものの、師の意図をただ教条的にしか理解しない。そこで厳しい現実に直面すると、周章狼狽して師の意図を生のまま機械的に同志に押し付けて事足れりとするか、あるいは師の意図が気になりつつも、直面した現実を特殊な場合として、浅薄な世間智をはたらかせて現実に適合しようと焦る。ここにいたって、師弟の脈動が断たれていることに気がつかない。まことに師の考えるところと、弟子が懸命に考えることとが冥合するとき、信仰の奔流は偉大なる脈動となって迸る。師の意図にただ追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不二の道の一切がかかっているのである。
−小説 人間革命 10巻 「脈動」−より



私たちの目標とは何であるか。師に応えようと目標を打ち出し達成しようと試みる。私たちは日々の戦いの渦中、数の目標で応えようとする。数という目標の中にあるはずの本質が歪められ本来素晴らしいはずのものが切羽詰まり、それを皆に強要してしまい価値を低下させていく。そうなってしまったときに目標がノルマ化する。その行為が意識の少ないメンバーに抑圧や葛藤を根付かせる。師に応えようと、師を利用する。自身の力の無さを顧みずに。保身や権力の魔性、利己的な思考が師弟をドグマ化する。誓願を打ち立てるのは自身である。同志だからといっても師弟観は個々の問題である。決めるのは各自である。数字を安易に下ろすのは愚劣極まりない。それは自身でやるべき数字だ。メンバーに戦わせようなんて考えるとしたら傲慢ではないのか。人をコントロールすることがどれだけ卑劣な行為かよくよく心したい。師に学ぶべきは心だと思う。その心から発した行為や言霊が人々の心を灯し志を一つにできるのではないか。そのなかで苦悩しもがき、他人の築いた道ではなく、自身で築き切り開いた新たな王道を創りゆくのが師弟の道であると確信する。
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2010年09月22日

SGIの「師弟の絆」




SGIの「師弟の絆」

取材者(編者:註)ー実際に創価学会•SGIのメンバーを取材されて、仏教に対して、どのような印象を持たれましたか。池田SGI会長をどのような人物だと思うようになられたのでしょうか。

ストランド これまでの創価学会との関係を振り返ると、数年の間に私の考えが大きく変わってきたことが分かります。
私は元々、禅宗の修行を積み、僧侶(教師)の資格も得ており、仏教の信仰を「座しての瞑想」としてとらえがちでした。これは、大部分の西洋人が仏教に対して抱いている偏見です。西洋における多くの仏教は、古代の僧院スタイルを踏襲していますが、家庭を持ち、長時間の仕事に励む在家の仏教徒にとって、長時間の瞑想修行などは日常生活から隠遁する環境下でなければ不可能です。
私が創価学会の信仰を体験して学んだことは、仏教の信仰には瞑想以外のやり方があるということです。創価学会の信仰活動は、より進化した形の実践法であるだけに、現代人の生活スタイルに、よりマッチしていて、効果的だということです。これから創価学会に触れる方々も、そのことをきっと理解するでしょう。
二つ目に、仏教に関心を抱く西洋人の多くと同様に、私も権威主義的な信仰モデルを教え込まれました。そこでは、師匠と弟子との関係は上位下達式で、絶対服従が基本です。しかし、弟子が師匠から得るものは少ないのです。しかもアメリカでは、こうした権威主義モデルでさえも、きちんと務めを果たせている仏教界は、1979年代から幾度にもわたる僧侶のスキャンダルで揺れに揺れてきました。アジア人僧侶と、その後を継いだアメリカ人僧侶が、衣の権威を利用し、繰り返し信者の信頼を裏切ったのです。
私が初めて創価学会に出あった時、(参加者が平等に語り合う)座談会や、会員同士の人間関係•連帯感を重視するのを見て、「誰も上に立つ人がいなくて大丈夫かな」と思いました。しかし時間が経つにつれ、地域社会に根ざした在家のリーダーシップの形を見て、この方がずっと健全で、安定正のある信仰の在り方だと思うようになりました。
三つ目に、アメリカの仏教では上位下達式の権威主義的モデルが蔓延していたため、当初、私は、池田SGI会長を信者に絶対的忠誠を求めるカルト教祖的な人物としてイメージしがちでした。
しかし、創価学会の目的は、戸田第2代会長の有名な「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」との言葉にあるように、陸続と人材を育成し、世界に広宣流布を進めることにあります。西洋には学会のような仏教団体が皆無であったため、理解するのに時間がかかりましたが、アメリカと日本でメンバーと直接触れ合うなかで、私の中の偏見は解消されました。
私は、創価学会の「師弟」と仏教宗派の「師弟」の違いが、社会に向けてまだ十分に説明されていないと感じています。学会の皆さんの「師弟の絆」
は、誤解されて社会で認識されていないるのです。学会のリーダーにはそのことを理解して、一段と説明の努力を担っていただきたいと願っています。

大白蓮華 NO725 2010年6月号
P83-84より抜粋


※宗教ジャーナリスト
クラーク•ストランド氏
(アメリカの著名な仏教研究家。アメリカを代表する仏教誌「トライシクル」の元編集長)

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2009年03月11日

開目抄

 我並びに我が弟子諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども疑いををこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事をまことの時はわするるなるべし(御書P234)


(通解)私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏でないからと嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、皆、法華経を捨ててしまったようだ。愚かな者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうものである。



 信心をしてきて、なんで信心してるのにこういう事があるのだろうかと疑ってはいけないのですね。試されているのですね。信心を。
 師匠を信じ、先生の教え通り、前へ前へ前進して目の前の難を吹き飛ばし、誓願の祈りで絶対勝ちましょう!
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2009年03月03日

師弟

 どんなに有名になても、成功しても、師匠のいない人生は淋しい。人間としての本当の勝利はない。
 人生の最大の幸福は、生涯の師を持つことです。
 私が恩師・戸田城西先生と出会ったのは、1947年の8月です。19歳の夏の日、私は自ら願って戸田先生の弟子となりました。
 この人なら信じられる。この人こそ、我が人生の師匠だ。そう心に定めて始まった宗教革命と世界平和への師弟共戦の旅路は、現在も烈々と続いています。
 恩師の逝去後、半世紀にわたる長征の間も、私は常に、胸中の戸田先生と対話し、あらゆる悪戦苦闘を突き抜けてきました。そして、皆さまとともに、仏教史上、未曾有の世界広宣流布の基盤を確立しました。
 今、私には一点の悔いもありません。一切に勝利しました。恩師に勝利の報告ができる以上の人生の大満足はありません。
 最も深い人生とは、師とともに理想に生き抜く人生です。その理想が偉大であればあるほど、師弟一筋に生き抜く生涯は、永遠の価値に輝きます。

2008-8 大百蓮華 希望の経典御書に学ぶ 第11回



 師弟こそ仏法の魂である。
 当然、根源の師は日蓮大聖人であられる。
 しかし、現代社会において、大聖人の教えをどう実践し、世界へと弘めていくか。一つ一つを具体的に、大聖人にうかがうことはできない。
 だからこそ、大聖人に直結して、不惜身命で広宣流布を進めゆく師匠の存在が大事なのだ。創価の師弟が重要なのである。

2008-5-27付 新時代第18回本部幹部会でのスピーチ



 毎朝、唱題しながら、伸一は誓った。
 “先生!今日もまた、全力で戦い抜きます。先生のために、必ず勝利いたします。まことの弟子の実践を御覧下さい”
 だが、戸田と伸一を襲う風は、激しく、冷たかった。しかも、伸一は胸を病んでいた。発熱も続いていた。厚い困難の壁に阻まれ、呻吟する夜もあった。
 そんな時には、戸田の叱咤が胸に響いた。
 “今が勝負だ!負けるな!自身をもって、堂々と突き進め!戸田の弟子ではないか!師子の子ではないか!”
 戸田を思うと、勇気が出た。力がわいた。
 自分らしく戦い抜いた日には、伸一の胸には、会心の笑みを浮かべる戸田がいた。
 “よくやった、よくやったぞ!”
 伸一にとって、怠惰や妥協は、自身の敗北であるばかりでなく、師匠を悲しませることであり、裏切りでもあった。
 師弟とは、形式ではない。常に心に師があってこそ、本当の師弟である。心に師がいてこそ、人間としての「自律」があり、また、真の「自立」があるのだ。

2008-11-21付 新・人間革命 「新世紀」の章


2009-3-3 聖教新聞





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2009年01月18日

一月 座談会青年部企画

2009年 1月度座談会 青年部コーナー 『師弟』

皆さん、こんにちわ!
○○地区青年部としまして、「○○○区の日」という師弟の原点を振り返り、池田先生の指導から『師弟』を学び、『師弟』を感じ、師匠に誓願し、先生の御心に報恩感謝すべく決意の場にしていきたいとおもいますので宜しくお願いいたします。

(中略)※我が区に先生が訪問されたエピソードを説明

2008-1-8 聖教新聞 池田名誉会長講義 御書と師弟 第4回の先生のご指導に、

 わが胸中に“師弟不二の太陽”が登れば、その瞬間から大変革が始まる。打開できない宿命はない。打ち勝てない戦いなどないのです。
 仏法で説く境涯革命の因果とは、現実的には、師弟がなければ実現されません。「妙法の因果」とは、いわば「師弟の因果」です。弟子は「因」です。師匠は「果」です。弟子の自覚に一切の因がある。
 「開目抄」においても、大聖人は「法華経の行者」としての 勝利を示されることによって、弟子が敢然と立ち上がることを促されています。
 弟子の勝利が師匠の勝利である。師匠の勝利は弟子の勝利です。これが仏法の甚深の方程式であり、「師弟不二」の真髄です。

と仰っています。まさに太陽が昇ろうとしている『黎明』に、池田門下である○○区の同志に激励を頂いたように感じてなりません。「師弟不二」とはどうあるべきかをご教授いただきました。
そして、御聖訓には
「よき弟子をもつときんば 師弟仏果にいたり あしき弟子をたくはひぬれば 師弟地獄にをつと いへり、師弟相違せば なに事も成べからず 御書P900」
とあります。
この信心の根本といってもいい「師弟」とは、とても厳しい道のりだとおもいます。師匠に弟子が心を合わせなければ何事も成就できないと仰せの通り「師弟不二」でなければならない。しかし、「師弟不二」であるならば、成仏できると仰せです。先生のお心を深く深く感じて、理解していかねばならないと痛感しております。
さらに、2008-12-28 聖教新聞 各部代表者会議での名誉会長のスピーチ 上 には、
 私の中には、いつも戸田先生がおられる。だから、どんな迫害にも負けなかった。
 師弟とは、人間の究極の道である。命がけの決心でなければ、継ぐことは出来ない。
 勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない ― そんな中途半端な姿ではいけない。
 観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
 小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩にむくいていく ― 
これが弟子の 道である。
今、新しい創価学会を築く時である。後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。

と仰せです。
 私は、先生のお言葉が一つ一つ重く心に突き刺さりました。自分に足りないものを明確に示していただけます。厳しい言葉であり、ありがたい言葉であります。ここに示された「師弟」は壮絶なものを感じてなりません。先生は今覚悟を問われているように思います。その覚悟ができるかどうかを。
 ここに書かれていることができないのでは、本門の弟子ではないと思います。 師匠の振る舞い、行動、指導、全てを深く 厳粛に感じ 受け止めていきたい。師匠と自分との距離感が信心の深さであると思います。命をなげうてる自分になるべく、訓練を受け切ってまいります。先生の言葉を「はい」の二字でこたえます。

最後に○○地区青年部の決意を発表して終わりにします。
池田先生の熱と力で打ち立てた「二月闘争」を再び○○地区青年部で新たな金字塔をうちたててまいります。そして、大法戦が二つひかえています。負けられない戦いです。師匠にお応えするべく、○○地区青年部が先駆をきって大勝利のご報告をいたします。
以上!ありがとうございました。
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2009年01月15日

今日の名字の言

「約束というのは、たがえないということである」(御書1512ページ、趣意)と御聖訓。全幅の信頼を置き、弟子の成長を待つ師。その期待に、全人格を懸けて応える弟子の生きざま。

2009-1-15 聖教新聞 名字の言


 師匠の期待に応えるべく誓願という約束を必ずや達成したい。
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2009年01月06日

華果成就御書

日蓮が法華経を弘むる功徳は必ず道善房の身に帰すべしあらたうとたうと、よき弟子をもつときんば師弟仏果にいたりあしき弟子をたくはひぬれば師弟地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず 御書P900

(通解) 日蓮が南無妙法蓮華経を弘める功徳は必ず道善房の身に還るでしょう。まことに貴いことです。よい弟子をもつならば師弟はともに成仏し、悪い弟子を養うならば師弟はともに地獄に堕ちるといわれています。師匠と弟子の心が違えば何事も成就することはできません。


 この信心の根本といってもいい「師弟」とは、とても厳しい道のりだとおもう。師匠に弟子が心を合わせなければ何事も成就できないと仰せの通り「師弟不二」でなければならない。しかし、「師弟不二」であるならば、成仏できると仰せです。先生のお心を深く深く感じて理解していかねばならないと痛感しております。
 師匠を宣揚し、師匠の正義を語り貫き通してまいります。
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2008年12月29日

師弟

各部代表者会議での名誉会長のスピーチ 上

 私の中には、いつも戸田先生がおられる。だから、どんな迫害にも負けなかった。
 師弟とは、人間の究極の道である。命がけの決心でなければ、継ぐことは出来ない。
 勇気があるのか、正義が燃えているのか、分からない ― そんな中途半端な姿ではいけない。
 観念ではない。明確な「行動」がなければならない。
 小さな自分をなげうって、人生の最後の瞬間まで、師匠の正義を叫び、大恩にむくいていく ― これが弟子の道である。
 今、新しい創価学会を築く時である。
 後継のリーダーは「師弟なくして仏法はない」という一点を、わが生命に刻みつけていただきたい。

2008-12-28 聖教新聞


 最近、先生のお言葉が一つ一つ重く心に突き刺さります。自分に足りないものを明確に示していただけます。厳しい言葉であり、ありがたい言葉であります。ここに示された「師弟」は壮絶なものを感じてなりません。先生は今覚悟を問われているように思います。その覚悟をできるかどうかを。
 ここに書かれていることができないのでは、本門の弟子ではないと思います。命をなげうてる自分になるべく、訓練を受け切ってまいります。先生の言葉を「はい」の二字でこたえます。
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2008年12月22日

小説「新・人間革命」新世紀29

 山本伸一は、さらに戸田城聖の、豪放磊落な人間像に触れたあと、こう記した。
 「私は戸田城聖という人間を知り、その人間から仏法を教えられたのです。私の場合、決して信仰というものが先ではなかった。戸田先生を知って仏法を知ったのであり、仏法を知って戸田先生を知ったのではありません。
 私がなぜこうしたことを申し上げるかといいますと、実はここに社会万般をつなぐ軸のようなものがあると思うからなのです。
 つまり人間があってすべてが始まるという、単純なことかもしれませんが、私はこのことが実際には忘れ去られているような気がしてなりません。
 権威とか名声とか、形式が優先した社会というのを私は好みません。もっと人間そのものが前面に出て、人間と人間の打ち合いといえばいいのでしょうか、そこから混沌の時代や人間関係の希薄さを破る端緒が開けるようにも思えるのです」
 宗教の根本は法である。しかし、生き生きとした宗教の脈動、生きた哲学は、人間と人間の触れ合いを通して伝わるものだ。ましてや、人間を離れたヒューマニズムの宗教など、あろうはずがない。そして、その根幹こそが師弟という人間の絆である。
 伸一は、井上靖に、自分の胸中を、ありのままに吐露していった。
 「私の心の中には、いつも戸田城聖という人格がありました。それは生きつづけ、時に黙して見守りながら、時に無言の声を発するのです。生命と生命の共鳴というのでしょうか」
 師は、師弟の道を貫かんとする弟子の心のなかに、永遠に生き続ける。
 井上は、こう返書につづってきた。
 「たいへん心を打たれました。一つの大きな人格に出会い、その人間と思想に共鳴し、傾倒して、ご自分が生涯進む道をお決めになり、しかも終生その人格に対する尊敬と愛情を持ち続けられるということは、そうたくさんあることではないと思います」
 師をもつ人は幸せである。

2008-12-22 聖教新聞


 師匠の振る舞い、行動、指導、全てを深く厳粛に感じ受け止めていきたい。師匠と自分の距離感が信心の深さであると思う。
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2008年12月07日

「英知の日」記念式典

「英知の日」記念式典

中学・高校生への卒業指針

「師弟」がなければ、破れない壁がある。
「師弟」でなければ、進めない道がある。
「師弟」の絆ほど、美しく、強いものはない。


2008-11-17 東西創価学園「英知の日」記念式典

学園卒業生に贈られた先生の指針です。
温かく厳しく心に響く指針です。師弟の道を学びゆきたい。
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2008年11月25日

今日の名字の言 2008-11-25

名字の言

 110年前、27歳の若さで赤痢菌を発見した細菌学者の志賀潔博士。ドイツに留学し、世界初の結核治療ワクチンを発表するなど、目覚ましい活躍だった▼博士は後年、大学の細菌学教室などから講演を依頼され、各地を回った。その際、求められ、好んで記した言葉がある。「先人の跡を師とせず、先人の心を師とすべし」▼“先人の業績ばかりに目を向けるのではなく、その心に目を向けよ”。赤痢菌の発見も、自身の栄達のためでなく、病気で苦しむ人を救わんがために研究し続けた成果であった▼晩年の博士は、赤貧を洗う生活だった。だが死を迎えるまで、専門書を読み、学問と格闘した。自分の学問を通じて、人類の福祉に貢献する――これが博士の信念だった▼池田名誉会長の激闘に次ぐ激闘によって築かれた広布の金字塔。それを成し遂げたのは、「民衆を断じて幸福に!」「恩師の構想を断じて実現する!」との大いなる責任感ではなかったか。その魂を学び実践に移してこそ、後継といえる▼志賀博士の故郷・宮城県の海沿いの丘に記念碑がある。そこには「自ら信ずる所篤ければ、成果自ら到る」との言葉が。人間の強さは、信念の強さで決まる。強固な決意と行動に、結果は自ずと付いてくる。(城)

2008-11-25 聖教新聞 名字の言より

「心こそ大切なれ」という御金言があります。師匠の心を心で感じ心からの行動でありたい。
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2008年10月29日

私の師弟観

私の師弟観

創価学会に入会して一年経ったころある疑問が生じました。
諸先輩方が皆池田先生が師匠だと言っていました。
何故師匠なのか何故池田先生なのか、理解できませんでした。
確かに池田先生は凄い人ですが他にも凄い人は沢山いると思っていました。
まずは先生がしてきたこと、先生のお書きになった書籍等読みあさりました。
その頃の自分の師弟観は師匠を追い求める事でした。
新聞、大白蓮華、書籍等々読むようになりました。
激励で『人間主義の旗を』という対談集を頂きました。
自分が宗教が嫌いだった理由の一つで宗教があるから戦争が起こるとの考えがありました。
しかし、その本には宗教間の問題を見事に凌駕する対談が繰り広げられていました。純粋に先生凄いと感じた瞬間でした。
 それからも先生の今までの軌跡を知れば知るほど先生の素晴らしさを痛感しました。
 先生の弟子にしていただくべく日々の戦いに望むようになり、それまでは、祈りもこうなったらいいな〜みたいな御すがりの祈りが、先生にこたえる為にと、誓願の祈りに変わっ
ていました。
以前の自分にくらべ、自分や環境に振り回されない自分ができつつあると自覚しています。

師恩に応えます!

師弟の原点 http://gennohitorigoto.seesaa.net/article/109941993.html
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