2009年09月22日

10月度 拝読御書

諸法実相抄

【本文】

 一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ、あひかまへてあひかまへて信心つよく候て三仏の守護をかうむらせ給うべし、行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず、我もいたし人をも教化候へ、行学は信心よりをこるべく候、力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし(御書 P1361 10行目〜13行目)

【通解】

 全世界第一の御本尊を信じていきなさい。よくよく心して、信心を強くして、釈迦仏・多宝仏・十方諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。
 行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば、仏法はなくなってしまう。自分も実践し、人にも教え、勧めていきなさい。
 行学は信心から起こるのである。力があるならば、一文一句であっても人に語っていきなさい。

【背景と大意】

 本抄は、日蓮大聖人が文永10年(1273年)5月17日、流罪地の佐渡で著され、最蓮房に与えられたと伝えられます。
 最蓮房は、大聖人と同時期に佐渡に流罪されていた天台宗の学僧で、大聖人に巡り会って弟子になりました。求道心が旺盛で、仏法の法門について熱心に大聖人に教えを請い、「生死一大事脈抄」「草木成仏口決」などの法門書を頂いています。
 本抄で大聖人は、法華経方便品第2の「諸法実相抄」の真の意義を、「本門寿量品の事の一念三千の法門」に基ずいて教えられています。
 まず「諸法実相抄」について、「十界の依正(=諸法)」が「妙法蓮華経の当体(=実相)」ということであると教えられ、その「妙法蓮華経」を末法の始めに流布し、釈迦・多宝の二仏が並坐(びょうざ)する虚空会の儀式の本尊として顕すのが、上行等の菩薩であると明かされています。すなわち、この本尊を受信することによって、どのような凡夫であろうと、「妙法蓮華経の当体」として輝いていけるのです。
 続いて、この「妙法蓮華経」を流布する上行菩薩とは大聖人御自身にほかならず、大聖人の弟子たちも地涌の菩薩に連なる存在であると明かされます。
 さらに、大聖人の一門として信心を貫き通すよう励まされ、大聖人と同意であれば地涌の菩薩であり、地涌の菩薩であれば釈尊久遠の弟子であることは疑いないと仰せになります。
 続いて、初めは大聖人お一人で唱えていた題目は、二人・三人・百人と次第に唱え伝えられている、それは未来も同じであり、ここに地涌の義があると述べられ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えることは絶対に間違いないと大確信を示されます。
 最後に、一閻浮提第一の御本尊を信じて行学の二道を励み、力の限り一文一句であっても語っていきなさいと激励されるのです。

「行学の二道」が幸福の軌道

 日蓮大聖人は、御自身の魂を認められた御本尊を「一閻浮提第一」、すなわち「世界第一」と高らかに宣言されています。この御本尊には、どのような人間であろうと、どのような苦境にあろうと、成仏という最高の勝利の境涯を開いていける大法が表現されています。だからこそ「世界第一」と仰せなのです。
 ただし、その偉大な力用は、強い信心がなければ、引き出せません。「あひかまへて・あひかまへて・信心つよく候て」と仰せの通り、苦難に遭えば遭うほど信心を強く奮い起こしていけば、そこに釈迦・多宝・十方の諸仏という三仏の守護の力が厳然と現れてくるのです。
 そうした強き信心を築くには、徹して「行学の二道」に励んでいくことです。信心とは、単なる心の持ちようではありません。弘教、勤行唱題、また教学の研鑽という具体的な実践なくして、仏法はありえないのです。しかも、そこで大切なのは、自分だけではなく、他の人々にも実践させていくことです。慈悲をもって、勇気をもって、他の人々を励まし立たせ、自他共の勝利へ進んでいくことです。
 信行学は、信心を中心に互いに連動して強まっていきます。信心が行学の前進を促し、また行学の前進が信心を強めていきます。しかも、そこに同志との生命の触発があれば勢いはさらに加速していきます。
 大聖人は、本抄を「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」と結ばれています。たとえわずかでも力の限り語っていく―――その勇気の一歩を踏み出せば、新しい自身の境涯が開かれます。新しい広布の舞台も開かれます。
 池田名誉会長は語っています。
 「『勇気ある信心を貫く』こと、『悪と断じて戦っていく』こと、そして、徹して『御本尊根本』『御書根本』でいくこと―――これが、広宣流布の大回転を可能ならしめる要諦である。創価学会は、この王道を進んだからこそ、隆々と繁栄し発展している」
 どこまでも信行学の基本に徹しながら、新しい生命力をみなぎらせ、新しい挑戦を開始していきましょう。

2009-10 大百蓮華 No717
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2009年09月04日

9月度 拝読御書

四菩薩造立抄

【本文】

 総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし
(御書P989)


【通解】

 総じて日蓮の弟子と言って、法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい。そうするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう。


【背景と大意】

 本抄は弘安2年(1279年)5月、日蓮大聖人が身延から下総(千葉県北部一帯)の門下の中心である富木常忍に送られたお手紙です。
 前半は、地涌の菩薩の上首である四菩薩(上行、無辺行、淨行、安立行)の像が造立されたのはいつか、という質問に対する答えです。
 大聖人は、末法の一切衆生を救うための本尊を、法華経の虚空会に基づいて図顕されます。虚空会とは、南無妙法蓮華経を象徴する宝塔を中心に虚空で行われた説法のことです。久遠の師匠である釈尊は、久遠の弟子である地涌の菩薩を、この虚空会に呼び出し、滅後末法の妙法流布を託します。大聖人は、虚空会で明らかにされた、妙法を根本とする久遠の師弟を本尊に図顕され、法華弘通の旗印とされたのです。
 本抄では、こうした本尊の深義を理解される一段階として、末法の今こそ、地涌の四菩薩を脇士とする本門の教主釈尊が造立される時であると教えられています。当時としては、これだけでも、仏教史上、前代未聞の法門だったのです。さらに、大聖人は、こうした本尊を顕す御自身こそ上行菩薩の再誕であり、仏法の次元から見れば「一閻浮提第一の富める者」であると仰せになります。
 後半では、迹門無得道という己義を唱える一部の門下を戒められ、大聖人の弟子であるならば「日蓮が如く」修行していかねばならないと、師弟不二の信心を教えられます。



仏法の根本は師弟

 偉大な師匠を求め抜いてこそ、自身の偉大な可能性も開かれてきます。
 本抄御執筆の当時、富木常忍の近くに、法華経の法門について、師匠である日蓮大聖人とは異なる、自分勝手な考えに陥った弟子達がいました。このことを深く心配された大聖人は、本抄を送り、日ごろ自らが富木常忍に懇切丁寧に言い含めているように、富木常忍が人々を教え諭していくように指示されます。
 そのうえで、弟子の信心の根本姿勢について、大聖人の弟子と言って法華経を修行する人々は、大聖人の如くしていきなさいと指導されます。
 人間は、自分一人では、なかなか自分の壁を破ることはできません。気づかないうちに、いつの間にか、慢心や自己不信、また臆病や惰性に陥り、自ら成長の可能性を閉ざしてしまいます。
 しかし、師匠を求めぬく人生に行き詰まりはありません。広宣流布の師匠は、あらゆる人々が不幸を乗り越え幸福を勝ち取れるよう、闘争を続けています。その師匠と一念を連動させていけば、自身の壁を打ち破って、思ってもみなかったような大境涯を開いていけるのです。
 本抄では、続けて「そうあってこそ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・諸天善神も加護するに違いない」と仰せです。諸仏諸天の加護といっても、要は、自身を取り巻く一切を、勝利へ勝利へと生かしていく偉大な生命力にほかなりません。
 この勝利の力を開く師弟不二の大道を現代に蘇らせたのが、創価学会の三代の会長です。
 池田名誉会長は語っています。
 「仏法の根本は師弟である。師匠に心を合わせる。師弟の熱き魂を叫び抜いていく。そうすれば、もっともっと力を発揮できる。変わっていける。すべて『心』で決まるのだ。気取った、増上慢の一念ではだめだ。師匠に対して、『きょうも、新しい勝利の道を開きました!』と毎日、報告するような気持ちで戦うことだ」
 さあ、創立80周年を目指し、「青年・勝利の年」の後半戦も、自身のフロンティアに勇敢に挑戦していきましょう。



2009-9 大百蓮華 No716
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2009年08月03日

8月度 拝読御書

窪尼御前御返事

【本文】
 大風の草をなびかしいかづちの人ををどろかすやうに候、よの中にいかにいままで御しんようの候いけるふしぎ(不思議)さよ、ねふかければはかれずいづみに玉あれば水たえずと申すやうに御信心のねのふかくいさぎよき玉の心のうちにわたらせ給うか、たうとしたうとし
(御書P1479)

【通解】
 大風が草をなびかせ、雷が人を驚かすような、激しく揺れ動く世の中にあって、あなたが今まで、この信仰を続けられてきたことは、なんと不思議なことでしょうか。
 根が深ければ葉は枯れず、泉に玉があれば水が絶えないと言われるように、あなたのご信心の根は深く、あなたの心の清らかな玉があるのでしょうか。尊いことです。尊いことです。

【背景と大意】
 本抄は、日蓮大聖人が、建治年間後半から弘安年間前半のころ、身延で認められ、駿河国(静岡県中央部)富士郡に住む女性門下の窪尼御前に送られたお手紙です。
 窪尼は、西山の河合入道の娘で、日興上人の叔母に当たり、日興上人の指導のもと、高橋六郎兵衛の夫人として、夫とともに純粋な信心に励みました。
 最近の研究によれば、夫の闘病中に尼となて妙心尼と名乗り、夫の死後、大聖人から持妙尼の名を頂き、さらに、一人娘を連れて実家のあった西山の窪に戻ってからは、窪尼とも呼ばれるようになりました。したがって、妙心尼・持妙尼・窪尼と呼ばれる女性門下は、すべて同一人物ということになります。
 窪尼の住んでいた富士郡一帯には、北条本家の領地が多く、大聖人門下に対する強い圧迫がありましたが、日興上人を中心にした異体同心の団結によって、弘教が目覚しく伸展します。これに危機感を感じた幕府権力は、弘安2年(1279年)に熱原法難を引き起こします。
 本抄は、こうした騒然たる世情の中で、夫の死後も健気に信心に励む窪尼に対する激励であり、「根が深ければ葉が枯れず、泉に玉があれば水が絶えないように、あなたの信心の根が深く、心中にすっきりとした玉があるのでしょう」と心から惨憺されています。
 


信心がある限り負けない!

 人生の途上には、さまざまな苦闘の時期があります。激しい風に吹きまくられるような時もあれば、恐ろしい雷に立ち尽くすような時もあるでしょう。実は、そうした時こそ、自身の信心が本物かどうかが試されているのです。
 本抄で大聖人は、「大風が草をなびかし、雷が人を驚かすような世の中」と仰せです。当時は、2度の蒙古襲来の間の時期であり、疫病や飢饉が相次いで起こり、世間の人々の不安に付け込むように、邪宗教が猛威を振るっていました。特に窪尼が住んでいた地方は、北条本家の領地が多かったため、権力者と宗教者が結託し、大聖人門下に対する弾圧の機会を虎視眈々と狙っていました。窪尼は、そうした中で、何度も御供養をして大聖人をお支えしながら、純粋な信心を貫いていたのです。
 大聖人は、この窪尼について、「根が深ければ葉は枯れない、泉に玉があれば水が絶えない」という故事を引かれ、信心の根が深く、世間的な未練や執着のない、すっきりとした覚悟の玉が心の内にあるのでしょうと讃えられています。
 根や玉のように、私たちの信心も表面からは見えないかもしれません。しかし、生命の大地に深く根ざした確固たる信心があれば、どんな苦難も勝ち越えて、現実の生活に幸福の葉を茂らせ、社会を慈悲の水で潤していくことができます。
 ただ、そうした信心を持つには、苦難に真正面から立ち向かい、必死になって唱題に励み、広布に力を尽くしていく以外にありません。その結果として、信心の根も、深く強く張られていくのです。
 池田名誉会長は語っています。「信心の根を、強く、深く張っておくことだ。根さえ張っておけば、たとえ風雪の時があったとしても、太陽の光の輝き、水分が与えられれば、必ずしだいしだいに大樹へと育っていく。信心と人生の歩みもまた同じである。どうか皆さま方は、この厳しき現実社会の中で、“真実の仏教”の証明者として、幸福の大光を朗らかに広げゆく勇者であっていただきたい」
 一生の信心の根を築く時は今と決め、勇敢に苦難に挑んでいきましょう。
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2009年06月26日

7月度 拝読御書

弥三郎殿御返事

【本文】
 但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり
(御書P1451 10〜12行目)

【通解】
 ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、今まで生きながらえてきたのは、このこと(今回の法論)にあうためである。
 この戦いこそ宇治川を渡すところであり、この戦いこそ勢多川を渡すところである。勝利して名を上げるか、破れて名を下すかの境目である。

【背景と大意】
 本抄は、建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が、弟子の弥三郎に対して、法論に臨む心構えについて御指南されたお手紙です。
 弥三郎について詳細は明らかではありませんが、本抄から、念仏僧と法論する信心と教学を備えていたこと、所領を持っている身分であったことなどが窺えます。このころ、各地の弟子たちは、信仰ゆえに厳しい迫害に晒されており、大聖人は、弟子達を守ろうと、四条金吾のために「頼基陳情」を、因幡房日永のために「下山御消息」を執筆されています。弥三郎も、所領を失うような危機を覚悟しつつ、念仏僧との法論に臨むことになったのです。
 大聖人は本抄で、日本国の人々が、主師親の三徳を具えた釈迦仏を差し置いて、一徳もない阿弥陀仏を信仰しているゆえに、飢饉・疫病等の大苦を招いていたのであり、その真実を訴えてきた大聖人の恩に報いるべきところを、流罪・死罪に処するとは転倒と言うほかないと、法論の場で述べるよう指示されています。さらに、今まで生きながらえてきたのは、この法論のためであり、どのような難があろうとも信心を貫き通すよう教えられています。


勝てば一切が開ける
 人生においても、広宣流布においても、その運命を決する勝負所というものがあります。
 しかし、生死を分かつような厳しい勝負を前にすると、臆病や逡巡や執着など、さまざまな迷いが生じてきます。何よりも大切なのは、まず「断じて勝つ」と腹に決めることです。そして「勝つために、やれることはすべてやりきろう」と、全力の行動に打って出ることです。
 日蓮大聖人は、法論に臨む弟子の弥三郎に「ただひとえに思い切りなさい」と教えられています。迷いがあれば、出るはずの力も出ません。同じ戦うなら、きっぱり迷いを断ち切って、大胆に敵に攻め込んでいくことです。
 本抄御執筆の建治3年(1277年)といえば、国中に疫病が大流行した年です。蒙古襲来の不安もあり、世情は騒然としていました。多くの人々が無惨に死んでいきました。弥三郎が、その一人になっても不思議はありませんでした。
 大聖人は、弥三郎に「多くの人々が死んだのに、今まで生きながらえてきたのは、この法論にあうためであった」と覚悟を促されています。
 私たちが、この世に生まれてきたのは、末法の一切衆生を救う広宣流布を誓願したからです。その運命を決する勝負に挑むのは、自身の誓願を果たす千載一隅の機会にほかなりません。
 「宇治川」「勢多」というのは、京都防衛の要衝でした。この川を渡れるかどうかが、都に攻め上る軍勢の勝敗を決定づけたのです。こうした勝負所で、戦い勝てば、自身の境涯も、広布の前途も洋々と開けていきます。戦った人の名前も、永遠に広布の歴史に輝いていきます。
 池田名誉会長は語っています。
 「仏法は勝負である。人生も勝負である。負ければ悲しい。勝てば喜びがわく。福運がつく。時代も、いい方向に向かっていく。勝利は自信を生む。その自信が更なる勝利を呼び寄せる。困難も、障害も、すべて乗り越え、痛快なる前進をしてまいりたい」
 さあ、我が使命の舞台で、痛快なる勝利劇を演じきっていきましょう。

2009-7 大百蓮華 714
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2009年05月22日

6月度 拝読御書

四条金吾殿御返事

【本文】
 なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし、「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず、兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり、ふかく信心をとり給へ、あへて臆病にては叶うべからず候

【通解】
 どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていくべきである。「あらゆる怨敵は、皆ことごとく滅びる」(法華経薬王品第23)との金言は、決してむなしいはずがない。
 兵法や剣術の真髄も、この妙法からでたものである。深く信心を起こしなさい。臆病では、何事も決して叶わないのである。

【背景と大意】
 本抄は弘安2年(1279年)10月23日、日蓮大聖人が、身延の地から、鎌倉の門下の中心的立場にあった四条金吾に送られたお手紙です。別名を「法華経兵法事」「剣形書」と言います。
 金吾は、大聖人が文永11年(1274年)、佐渡流罪から戻られて身延に入られたころ、主君の江間氏を折伏して不興を買い、同僚たちの嫉妬による圧迫を受けました。建治3年(1277年)には、桑ヶ谷問答を巡る良観謀略によって、主君から法華経の信仰を捨てる誓約書を書くよう厳しく強要されました。
 しかし、大聖人の御指導通り、忍耐を重ね、誠実を貫き、建治4年(1278年)の初めまでには、再び主君の信頼を勝ち取り、その後も、以前の3倍の領地を受け取るなど勝利の実証を示していきました。
 ところが同僚たちは、さらに憎悪の炎を燃やし、金吾を亡き者にしようと攻撃を仕掛けてきました。本抄は、金吾が敵の襲撃を受けたという報告に対する御指導です。
 当時は、熱原の法難が起こり、農民信徒20人が鎌倉に引き立てられるなど緊迫した事態が続いていました。大聖人門下全体が、障魔との闘争の渦中にあったのです。
 大聖人は、金吾が襲撃を切り抜けて無事であったことを喜ばれ、これは日ごろの用心、勇気、強い信心のたまものであると仰せになっています。
 さらに、「法華経の行者」を守護することは諸天善神の誓願であり、その諸天から剣術の真髄を与えられ、大聖人から妙法蓮華経の五字を授けられた金吾を、諸天が守護することは絶対に間違いないと教えられます。
 そして、「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」と、強盛な信心を根本に戦うことこそ一切の勝利の要諦であると御教示され、最後に「あへて臆病にては叶うべからず候」と、何ものも恐れぬ勇気を奮い起こして、戦い抜くよう励まされています。



「絶対勝利」の確信の祈りを!

 人生は、その本質において「勝つか、負けるか」という厳しい闘争の連続と言えるでしょう。次々と襲い来る試練に、私たちは、どう立ち向かっていけばいいのでしょう。
 本抄で、日蓮大聖人は「どのような兵法よりも、法華経の兵法を用いていきなさい」と教えられています。「法華経の兵法」とは、どこまでも信心を根本に戦っていくことです。大確信の祈りを原動力に、勇気を奮起こし、智慧を振り絞り、努力の限りを尽くしていくことです。
 大聖人は、続けて「兵法や剣術の真髄も、この妙法から出たものである」と仰せです。一人の人間の生命には、計り知れない力が秘められています。兵法や剣術というのは、その力を引き出す法則を部分的に解き明かしたものです。これに対して、妙法とは、生命と宇宙の根本を極め尽くした法則であるが故に、深き信心によって生命が妙法と連動した時、生命に備わる偉大な力を発揮していけるのです。
 さらに大聖人は「深く信心を起こしなさい。臆病では、何事も決して叶わない」と戒められています。自身の力を縛る最大の敵は、心中に巣くう「臆病」です。「臆病」に打ち勝って、妙法を信じ切ってこそ、生命の限りない力は解き放たれます。信心とは、自身の可能性を信じ切る挑戦なのです。
 大聖人の教えられた「法華経の兵法」を現代に蘇らせ、あらゆる迫害をものともせず、民衆を幸福にする闘争に勝利してきたのが、創価学会の三代の会長です。
 池田名誉会長は語っています。
 「いかなる邪智の策略があろうとも、『法華経にまさる兵法なし』である。この大確信で堂々と獅子の人生を生きぬいてまいりたい。仏法に行き詰まりはない。題目の力にかなうものはない。唱題によって、必ず一切をいちばんいい方向に変えていける。すべてを喜びに変えていけるのである」
 「絶対勝利」の執念の祈り、「師弟不二」の確信の祈りを根本に、我が使命の戦場で、堂々と勝利していきましょう。


2009-6 大百蓮華 No713
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2009年04月28日

5月度 拝読御書


四条金吾殿御返事

【本文】
 一生はゆめの上・明日をごせず・いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず、されば同くは・なげきたるけしきなくて此の状に・かきたるが・ごとく・すこしも・へつらはず振舞仰せあるべし、中中へつらふならば・あしかりなん 
(御書P1163・15行目〜P1164・1行目)



【通解】
 一生は夢の上の出来事のようであり、明日のこともわからない。どのような辛い境遇にはなっても、法華経に傷をつけてはならない。
 それゆえに、同じ一生を生きるのであれば、嘆いた様子を見せないで、私がこの陳状に書いたように少しもへつらわず振る舞い、語っていきなさい。なまじへつらうならば、かえって悪くなるであろう。


【背景と大意】
 本抄は、建治3年(1277年)7月、日蓮大聖人が56歳の時、鎌倉の門下の中心的な存在であった四条金吾に送られたお手紙です。大聖人は、金吾を陥れる良観一派の陰謀を白日の下にさらす陳情(反論の書状)「頼基陳状」を、金吾に成り代わって認められ、本抄とともに託されました。
 大聖人は、この時すでに、竜の口の法難、佐渡流罪という大法難を勝ち越えられ、身延に入山されていました。それまで師匠一人に向けられていた迫害の刃は、弟子たちに向かいました。その迫害との闘争を敢然と担い立ったのが、金吾でした。
 金吾は、主君の江間氏から厚い信頼を受けていましたが、主君を折伏すると、次第に遠ざけられるようになります。そして建治3年6月、大聖人の門下三位房が、良観の庇護を受けていた竜象房に法論を挑んで打ち砕くと、逆恨みした良観一派は、“金吾が武装して法座に乱入した”というデマを捏造し、江間氏に吹き込みました。
 江間氏は、法華経の信仰を捨てる誓約書を書くよう金吾に教要しました。すぐさま金吾は、信仰を貫く決意を誓状に認めて、大聖人に送りました。
 その誓状を受けて認められた本抄で大聖人は、御自身はどんな大難にも耐えられるが、妻子ある在家の門下が耐えられるとは思っていなかったところ、今、金吾が脅迫に屈せず信仰を捨てないと誓いを立てた、それは金吾の身に上行菩薩が入ったからであろうかと最大に賞賛されます。
 そして今後、どのような苦難に陥っても、法華経の信仰に傷をつけてはならないと更なる決意を促され、大聖人が記された陳状を出せば大きな騒ぎとなろう、重大事では大騒動が大きな幸いとなるものであるから、くれぐれも、へつらうような様子があってはならないと励まされます。
 さらに、敵の攻撃を受けぬよう用心に用心を重ね、身辺に注意を払うよう教えられています。


堂々と!師匠のごとく

 自分の人生を何に捧げるのか。財産のためか。地位や名声のためか。そうした人生の幸福は、時が経てば、すべて消え去ってしまいます。まして、万人が避けられない、死という厳しき現実の前には、はかない夢幻のようなものです。
 しかし、妙法を信じ抜き、師弟に生き抜き、広布に戦い抜く幸福は、生死を超えて永遠に崩れることはありません。たとえ一時は、負けたような姿をとっても、その人が永遠の勝利者と輝いていけるのです。だからこそ、信心に傷をつけては絶対にならないのです。
 日蓮大聖人は、法難と戦う四条金吾に対して、「どのような苦難に陥っても、たとえ財産や地位や名声をすべて失っても、決して法華経に傷をつけてはならない」と、厳しい覚悟を促されています。
 さらに続けて「同じ一生ならば、嘆いた様子を見せずに、少しもへつらわず振る舞い、堂々と語っていきなさい。なまじへつらうならば、かえって悪くなるであろう」と教えられます。
 嘆き悲しんで卑屈に生きても、へつらわず毅然と胸を張って生きても、同じ一生です。どうせならば、「どんな苦難も来るなら来い。必ず乗り越えてみせる」と信心の腹を決めることです。大聖人は、大難を勝ち越える自らの生き方をもって、弟子たちに「日蓮のごとく」難と戦うのだと励まされたのです。
 「師匠のごとく」 − 勝利の急所は、この一点にあります。金吾は、師匠の言われるままに戦い、見事にこの苦境をはねのけていきました。
 池田名誉会長は語っています。「目先の出来事に一喜一憂する必要はない。永遠に続く嵐はないように、永遠に続く苦難はない。大事なことは、どこまでも御本尊を信じ、強い信・行・学を貫いていくことである。信心さえあれば、どのような苦難も、宿命転換の機会としていける。福徳と幸福の人生の宮殿を、さらに磐石に築くことができる。一家、一族の繁栄の大道を開くことができるのである」
 さあ、堂々と、確信を込めて正義を語りきっていきましょう。



大百蓮華 2009-5 No712
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2009年03月31日

4月度 座談会拝読御書


報恩抄

  夫れ老狐は塚をあとにせず白亀は毛宝が恩をほうず畜生すらかくのごとしいわうや人倫をや、されば古への賢者予譲といゐし者は剣をのみて智伯が恩にあてこう演と申せし臣下は腹をさひて衛の懿公が肝を入れたり、いかにいわうや仏教をならはん者父母師匠国恩をわするべしや
(御書P293・1行目〜3行目)


(通解)

 そもそも、老いた狐は、生まれた古塚を忘れず足を向けないと言われ、また、毛宝に助けられた白い亀は、後に戦いに敗れた毛宝を背に乗せて助け、その恩に報いたという。
 畜生ですら、このように恩を知る。まして人間が不知恩であってならないのは当然である。
 故に、昔の中国の賢者・予譲と言う人は、主君・智伯の恩に報いようとして、剣をのんで死んだ。また衛の弘演は、主君の懿公が戦死した時、主君の恥をさらすまいとして、自分の腹を割いて、懿公の肝を入れて死んだ。
 まして仏法を習う者が、父母、師匠、国の恩を忘れてよいわけがあろうか。


(背景と大意)

 「報恩抄」は、日蓮大聖人が、道善房死去の知らせを受け、建治2年(1276年)7月、身延で著され、安房の国(千葉県南部)の門下である淨顕房と義淨房(義城房)に送られた御書です。道善房は、大聖人が安房の国の清澄寺で仏教を学んだ若き日に、師匠となった人物でした。大聖人は、この師匠の恩に報いるために、清澄寺時代に兄弟子であった淨顕房と義淨房に本抄を託され、道善房の墓前と嵩が森と呼ばれる場所で読むよう指示されたのです。
 本抄で大聖人は、人間としての根本の道は、「報恩」すなわち「恩に報いること」であると教えられています。では、どうすれば、本当の意味で「恩に報いること」ができるのでしょう。大聖人は、それには、真実の仏教によって恩ある人を救っていく以外にないと仰せになります。
 釈尊が説いた一切経のなかで、最高の真実を伝える経典は、法華経です。ところが、仏教史において、諸宗の人師論師たちは、自らが依って立つ教典が法華経より勝れているという誤った主張を重ねてきました。
日本では、伝教大使が法華経第一の正義を打ち立てましたが、その死後、背信の弟子達が、真言の方が法華経に勝っているという邪義を唱えるようになりました。
 真言による祈祷は亡国の因です。大聖人は、身命をなげうって、この邪義を破折され、激しい大難に遭われました。本抄では、御自身の覚悟について、すべては、父母・師匠・国を救って、その恩に報いるためであったと明かされています。
 さらに続けて、末法に広まるべき法は、法華経の肝心である南無妙法蓮華経であると示され、大聖人が、一人立ち上がって声も惜しまず唱えている南無妙法蓮華経は、大聖人の広大な慈悲によって、万年を超えて未来永遠に流布していくと述べられています。
 そして、妙法を広宣流布した功徳は、すべて師匠である道善房に集まっていくと結ばれるのです。


報恩こそが人間を向上させる

 自身が受けた恩を決して忘れない。その恩に徹して報いていく。知恩、報恩こそ人間としての根本の道です。日蓮大聖人は本抄で、動物すら恩を知っているという説話と、古代の賢人が命を捨てて恩に報いたという故事を引かれ、まして仏法者であるなら、父母、師匠、国の恩を忘れてはならないと教えられています。
 報恩を貫く人生には、人間として最も崇高な魂の勝利の輝きがあります。深い歓喜があり、弛みない向上があります。反対に、忘恩であれば、動物以下に成り下がってしまいます。一時はいいように見えても、慢心、虚栄、嫉妬が人生を狂わせ、滅びの道を辿ってしまいます。
 大聖人は、さまざまな恩の中でも、師匠の恩を最も大切にされました。師弟こそ人間を人間として向上させる根本だからです。偉大な師恩に報いようという不屈の一念こそが自身の壁を破る原動力となるのです。仏法において、この師恩を踏みにじることは最大の犯罪です。ゆえに、恩を仇で返すような忘恩・背信の輩には、決して油断することなく、厳しく戦いを挑んでいかねばなりません。
 では、仏法の師恩に報いる最高の実践とは何でしょう。それは、身命をなげうって、邪悪を破り、広宣流布に断じて勝利することです。本抄で大聖人は、報恩のために、謗法を責め抜いて、大波のような大難を受けたと振り返られています。そのうえで、大聖人の慈悲が広大無辺であるゆえに、南無妙法蓮華経は、万年を超え、未来永遠にわたって流れ通っていくという広宣流布の大確信を示され、この大功徳はすべて師匠である道善房に集まっていくと結論されています。
 池田名誉会長は語っています。「師匠の恩を知る者は、必死になってその恩に報いるものだ。また、正法を求め、護り、わが身をなげうつ先人の説話は、御書のなかにも、数多い。いざという時に、不惜身命で、師の恩に報いよ!これが大聖人の教えである。このことを、青年部の諸君に、また、真実の学会の同志にこそ語っておきたいのだ」
 深き報恩の決意を胸に、自身の壁を破る戦いに打って出ていきましょう。


2009-4 大百蓮華 No711
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2009年02月25日

3月度 座談会拝読御書

 曾谷殿御返事

 返す返すも本従たがへずして成仏せしめ給うべし、釈尊は一切衆生の本従の師にて而も主親の徳を備へ給う、此法門を日蓮申す故に忠言耳に逆う道理なるが故に流罪せられ命にも及びしなり、然どもいまだこりず候

(御書P1056・12〜14行目)


(通解)

 かえすがえすも、本来、従うべき師を間違えないで、成仏していきなさい。釈尊は一切衆生の本従の師であって、しかも主と親の徳も具えておられる。この法門を日蓮が説くので、「忠言は耳に逆らう」という道理であるから、流罪されたり、命にも及んだのである。しかしながら、いまだ懲りてはいない。

(背景と大意)

 本抄は建治2年(1276年)8月、日蓮大聖人が身延の地から、下総(現在の千葉県・茨城県の一部)の曾谷殿に送られたお手紙です。
 曾谷一族の曾谷教信は、富木常忍・大田常明とともに下総方面の門下の中心的な存在であり、大聖人は、この3人に重書「勧心本尊抄」を託されています。教信には、このほかにも漢文体の難解な法門書が送られており、深い学識のある人物だったことが窺えます。本抄を送られた曾谷殿は、この教信か、教信に連なる一族の誰かであると考えられます。
 大聖人は、本抄の冒頭で、仏の智慧が広大無辺であることを教えた法華経方便品第2の「諸仏の智慧は甚深無量なり」との文を引かれ、仏になる道とは、この文に示された「境智の二法」にほかならないと仰せになります。
 宇宙の生命を貫く真理(境)と、それを照らし顕す智慧(智)−この「境智の二法」を得たとき、私たちも、その身のままで仏の境涯を顕すことができるのです。
 続いて大聖人は、この「境智の二法」とは南無妙法蓮華経であり、この妙法を釈尊から結要付属(別付属)された上行等の地涌の菩薩が、末法に出現して広宣流布することは経文に明らかであると仰せになります。
 その際、妙法を末法に先駆けて弘める大聖人こそ上行菩薩の再誕であり、末法の師匠たる存在であることを示されます。
 また、末法の僧等は、仏法の道理を知らず、師匠を卑しんで檀那に媚びへつらっていると述べられ、法華経の敵を見ながら責めなければ無間地獄は疑いない、また、謗法を責めずして成仏を願っても成仏は叶わないと厳しく断じられています。
 続いて、師弟の縁が三世に続くことを示す法華経の文を引かれて、従うべき師匠を決して誤ってはならないと戒められ、「いまだこりず候」と、命に及ぶ大難にも決して屈することはない民衆救済の御決意を示されます。
 

 師弟こそ勝利の力!

 師匠ほどありがたいものはありません。師匠とともに歩む人生には、正しい軌道があり、弛みない前進があります。
 なかんずく仏法の師弟は今世だけではありません。大聖人は、本抄で「本従を違えずに成仏していきなさい」と仰せです。「本従」とは「本、この仏に従って初めて求道心を起こし、この仏に従って不退転の位に住する」という天台大師の『法華玄義』に由来する言葉です。このように三世にわたって師匠とともに歩むところに成仏の大境涯が開けてくるのです。
 続いて大聖人は、釈尊を一切衆生の「本従の師」と仰せです。本抄では、法華経の説法の会座で、釈尊が上行菩薩に、妙法を末法に流布するように託したと述べられ、さらに、大聖人こそ、その上行菩薩の使命を担う「根源の師」であると明かされています。この本抄全体の文意を踏まえると、大聖人こそ、末法の一切衆生にとって「本従の師」であると御教示されたものと拝されます。
 大聖人は、このように、一切衆生を成仏の境涯に高めゆく、最も正しい師弟の道を教えられました。ところが、当時の日本では、阿弥陀仏のような架空の仏を崇める誤った教えがはびこっており、大聖人の教えは、かえって激しい反発を招きました。その結果、幾たびにも命に及ぶ大難に見舞われたのでした。
 にもかかわらず、大聖人は「いまだ懲りてはいない」と仰せです。何があっても負けない。むしろ、苦難が大きければ大きいほど、それに倍する生命力を沸き出だして戦っていく。この不撓不屈の闘争にこそ日蓮仏法の魂があります。
 そして現代において、大聖人のごとく、いかなる大難にも屈せずに広布を進めてきたのが、創価の三代の会長です。
 池田名誉会長は語っています。「仏法は勝負だ。勝たねばならない。使命ある皆さんは、悔いなき人生を歩んでいただきたい。絶対に勝っていただきたい。そのために、師弟があるのだ。見栄とか飾りのためではない。仏法の師弟に生き抜く人生ほど、強いものはないのである」
 偉大なる師匠とともに偉大なる勝利の人生を堂々と歩んでいきましょう。



*本従  本従の師のこと。久遠以来、衆生を化導してきた師。一切衆生が根本として従うべき師。

*主親の徳  主の徳は、人々を守る力・働き。親の徳は、人々を育てて、慈しむ力・働き。

*忠言耳に逆らう  孔子の言行などを記した『孔子家語』に「忠言耳に逆らう」とある。真心からの忠告の言葉は、欠点や過ちを鋭く指摘しているゆえに、忠告された人は素直に聞き入れにくい、という意
  

2009-3 大百蓮華 No710
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2009年01月21日

2月度 座談会拝読御書

大悪大善御書

  大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずともまいをもまいぬべし、舎利弗にあらねども立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしにはをどりてこそいで給いしか

(御書P1300)


(通解)
 大事(大きな出来事)が起こる前には小さな瑞相はない。大悪が起これば必ず大善がくる。すでに大謗法が国に充満しているのであるから、大正法は必ず広まるだろう。
 あなたがたは、何を嘆くことがあろうか。迦葉尊者でなくても、舞を舞うべきところである。舎利弗でなくても、立って踊るところである。上行菩薩が大地から出現されたときには、まさしく踊りでられたのである。


(背景と大意)
 本抄は、一部のみが伝えられたため、いつ、だれに送られたお手紙かは不明です。ただ、その内容から、文永11年(1274年)の蒙古襲来によって社会が騒然とするなかで、苦闘する弟子を激励するために記されたお手紙ではないかと推察されます。
 この当時、一国を挙げた大謗法によって、三災七難が相次いで起こり、自界叛逆難(二月騒動)、他国侵逼難(蒙古襲来)という二難も現実のものとなりました。そうしたなかで、大聖人門下は、厳しい迫害の嵐にさらされていました。大聖人は、こうした大悪は、大正法が広まる大善の前兆であるとされ、決して嘆いたりせず、成仏の法を解かって大歓喜に舞い踊った迦葉・舎利弗のように、また、妙法を流布する使命を担おうと大地から躍り出た上行菩薩のように、喜び勇んで広布に立ち上がるよう励まされています。


広宣流布の大歓喜の舞を!

 何か苦難に見舞われた時、どのように向き合うのか。「自分には乗り越えられない」と悲観し絶望するのか。「必ず乗り越えられる!大きく境涯を開くチャンスが到来したのだ」と力強い楽観主義で挑戦していくのか。同じ苦難でも、向き合い方によって、人生は百八十度変わってしまいます。
 本抄の御執筆当時、大謗法が国中に蔓延し、三災七難が競い起こっていました。とりわけ、自界叛逆難・他国侵逼難が、二月騒動・蒙古襲来として現れると、亡国の恐怖が社会全体に現実の危機として迫ってきました。
 そうしたなか、大聖人一門は、大謗法の元凶である悪僧等の暗躍によって、厳しい迫害を受けました。弟子たちは、どれほど悲嘆に暮れたことでしょう。
 ところが、大聖人は、そうした悲嘆を吹き飛ばすように、「大悪が起きたからには、大善が来ることは間違いない」と断言されます。そして、大謗法が蔓延するという大悪が起きたからこそ、その大謗法を打ち破って大正法が流布する大善の前兆である − 何と力強い希望と確信の言葉でしょう。もちろん、大悪が起きたからといって自然に大善が来るはずがありません。大悪の元凶を見破り、打ち破る闘争に挑んでこそ、大悪を大善へと転換していけるのです。
 法華経の会座で、成仏の法に巡り合った迦葉・舎利弗は、大歓喜で舞い踊ります。また、釈尊が、末法の妙法流布の使命を託すために地涌の菩薩を呼び出した時、その上首である上行菩薩は大地から躍り出たのです。大正法は、迦葉・舎利弗のように、上行菩薩のように、大歓喜の躍動をもって弘められていくのです。
 池田名誉会長は語っています。「『大悪』は『大善』の前兆である。ゆえに、何かあればあるほど、『好機到来!』と喜び勇んでいくのが『信心』である。その『信心』の力が、大悪を大善に還るのである」
 伝統の2月、大歓喜の舞を舞うように広布の闘争に踊り出していきましょう。


*小端    小さな瑞相のこと。瑞相とは前兆の意。
*迦葉尊者  釈尊の十大弟子の一人で、「頭陀(貪欲等を払い除く修行)第一」と称された。
*舎利弗   釈尊の十大弟子の一人で、「智慧第一」と称された。
*上行菩薩  法華経従地涌出品第15で出現した地涌の菩薩の上首の一人

2009-2 大白蓮華 No709


 今逆風が吹いている。ある意味大悪です。大善が必ずくると確信のもと大法戦にむけ準備してまいります。楽しく喜んで前進前進ですね。

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2008年12月25日

1月度 座談会 拝読御書

呵責謗法滅罪抄

何なる世の乱れにも各各をば法華経十羅刹助け給へと湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く強盛に申すなり
 
御書 P1132

(通解)
 どのように世の中が乱れていても、あなた方のことを「法華経・十羅刹女よ、助け給え」と、湿った木から火を出し、乾いた土から水を得ようとするような思いで私は強盛にいのっている。


背景と大意

 師匠は弟子のために、弟子は師匠のために ― 本抄は、大難の渦中、互いの思い合う師弟の真情の結晶とも言うべき御書です。
 文永10年(1273年)、日蓮大聖人が、流罪の地・佐渡の一谷から、鎌倉の四条金吾に送られたお手紙であると伝えられますが、詳細は明らかではありません。
 このお手紙を頂いた門下は、その文面から、佐渡にいる大聖人と弟子たちの生活を支えるために、7,8人で供養を携え、遠路はるばる佐渡を訪れていたことが窺えます。
 この時期、大聖人一門は、鎌倉幕府による激しい弾圧に晒されていました。
 大聖人は、本抄を送り、謗法の人々が蔓延する国土に法華経を弘めれば大難は避けられないが、その大難と戦って広宣流布に生き抜いていけば、過去遠遠劫からの重罪を今の一生の内に滅していけると宿命転換の原理を示され、強盛な信心を貫く弟子たちに感涙を抑えられないと賞賛されます。
 続いて、法華経の説法の会座で、上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩に託された、法華経の肝心である妙法蓮華経の五字が弘められるのは、正法一千年・像法一千年ではなく、末法の今をおいてないと仰せになり、国土を揺るがす数々の災難は、この地涌の菩薩が出現する前兆であると明かされます。
 さらに、大聖人が二十余年の間、大難を受けてきたのは、地涌の菩薩として、この妙法を弘めようとしたからであり、日本国の一切衆生を救う慈悲の父母と言うべき大聖人を迫害するとは、前代未聞の非道な政治と言うほかないと断じられます。
 そして、大聖人を支えるために尽力する弟子たちの真心に、法華経の文字があなたたちの身に入ったように思われると深く感謝を表され、どのような乱れた世であろうと、あなたたちが法華経・諸天善神から助けられるよう、強盛に祈っていると結ばれるのです。


確信の祈りから出発!

 勝利の劇は、強き一念の「祈り」から始まります。日蓮大聖人は、本抄で、その真髄を教えられています。
 「何なる世の乱れにも」と仰せのように、当時は三災七難が競い起こっていました。特に文永10年(1273年)と言えば、前年には、自界叛逆難である「二月騒動」、翌年には他国侵逼難である「蒙古襲来」がおきています。騒然たる世情のなか、大聖人一門は、権力の非常な弾圧を受け、弟子たちは不安と困窮の生活を強いられていました。
 大聖人は、御自身が明日の命をも知れぬ身でありながら「諸天よ、弟子たちを守れ」と強き祈りを送られます。この師匠の慈愛を受け、弟子たちは強情な信心に奮い立ちます。祈りにおいて、まず大切なのは、この「師匠のごとく」「師匠とともに」という奥底の一念です。
 さらに「各各をば法華経・十羅刹・助け給え」と仰せです。一切の仏・菩薩・諸天善神等は、法華経を持つ人を守護すると誓っています。この守護の力は、どうすれば現れるのでしょう。
 大聖人は、祈りの姿勢として「湿れる木より火を出し」等と仰せです。湿った木を摺り合わせて火を起こしたり、乾いた土から水を得ようとするのは、極めて困難です。しかし、それなくしては生きられないよいう必死の状況であれば、余計なことに囚われず、渾身の努力をするでしょう。これと同じように、祈りに際しては、迷ったり、疑ったりせず、絶対に成し遂げられるという不抜の確信、成し遂げてみせるという不屈の執念を燃やしていくことです。そうした祈りを根本にした時、智慧も湧き、勇気も生まれ、確信もいよいよ強まり、その信心に応えて、一切の仏・菩薩・諸天善神等が偉大な守護の力を発揮していくのです。
 池田名誉会長は語っています。
 「私はいかなる戦いにおいても、御本尊への強く深い祈りから出発した。そこに不可能を可能にする道が、豁然と開かれていくからである。『祈り』こそ、一切の打開と勝利への源泉である」
 朗々たる確信の祈りから、勝利の一年を出発していきましょう。

大白蓮華 第708号
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2008年11月23日

12月 座談会御書

祈祷経送状

法華経の行者は信心に退転無く身に詐親無く一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば慥に後生は申すに及ばず今生も息災延命にして勝妙の大果報を得広宣流布大願をも成就す可きなり (P1357)


(通解)法華経の行者は、信心において退転することなく、振る舞いにおいて詐り親しむことなく、法華経に自身の一切を任せて、仏の教え通りに修行するならば、必ず、後生の成仏は言うに及ばず、今生も災いをなくして寿命を延ばし、すばらしい大果報を得て、広宣流布の大願をも成就することができるのである。

(背景と大意)本抄は、文永10年(1273年)1月、日蓮大聖人が、流罪されていた佐渡の一谷で著され、弟子の最蓮房に与えられたお手紙です。
 最蓮房は、もともと天台宗の学僧で、何らかの理由で大聖人と同じころ佐渡に流罪され、そこで大聖人と巡り会って、文永9年(1272年)2月、師弟の契りを結びました。天台教学に通じていたため、「生死一大事血脈抄」「諸法実相抄」等、甚深の法門が説かれた御書を頂いています。
 大聖人は、この最蓮房の求めに応じ、祈祷経一巻を認められました。
これは、法華経の絶対の功力を明かした重要な経文の抜書きであったと推測されます。本抄は、この副状として記されたものです。この中で大聖人は、法華経ゆえに三世の大難を受けたが、それによって法華経の利益も三世永遠に尽きることはないという御確信を示されるとともに、法華経を経文通り修行していけば、今生の息災延命と成仏の果報、そして広宣流布の大願成就は間違いないと約束されています。

信心の宝剣は無敵

 私たちの信ずる妙法は、絶対勝利の法です。この信心を貫く人生に、敗北の二字はありません。日蓮大聖人は、本抄を通し、御自身が貫いてこられた絶対勝利の信心・修行を、弟子の最蓮房に御指南されています。
 まず第1に「信心に退転無く」です。すなわち、わが胸中から、迷う心、疑う心、臆する心、怠るこころを排していくことです。常に前進と向上の情熱を燃やしていくことです。
 第2に「身に詐親無く」です。悪を許して、詐り親しんではならないということです。
悪を許せば、許した本人が「仏法の中の怨」となってしまいます。真の慈悲とは、
悪を見過ごすのではなく、厳しく責め戒めるところにあるのです。
 第3に「一切法華経に其の身を任せて」です。すなわち、自分中心のわがままを打ち破り、どこまでも広宣流布を人生の根本に据えて生きていくことです。
 第4に「金言の如く修行せば」です。法華経には、どんな大難が襲い来ようと退いてはならない、むしろ大難を呼び起こして戦い勝っていくのだと、繰り返し説かれています。この法華経の通り苦難に立ち向かっていくことです。
 大聖人は、こうした信心・修行を貫き通した時、今生において「息災延命」、すなわち何があろうと揺るがぬ幸福を築き、「勝妙の大果報」、すなわち成仏の大境涯を開き、さらに「広宣流布大願」も必ず成就すると約束されています。
 この大聖人の確信と行動と実証を、現代に蘇らせたのが、三代の会長と共に歩む創価学会にほかなりません。
 池田名誉会長は語っています。「私どもが唱える南無妙法蓮華経は、永遠不滅の勝利の法である。ゆえに、それを持ち、唱えた人が、不景気に沈んでいたり、負け人であったり、情けない人生の敗残兵になることなど、絶対にないのである。私たちは、人間にとって最高峰の法を持っている。宝剣を持っている。財宝を持っている。それが妙法だ。ゆえに、断じて負けない」
 さあ、わが人生で「永遠不滅の勝利の法」を堂々と証明していきましょう。

2008-12 大白蓮華No707より
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2008年11月11日

11月の座談会御書

11月の座談会御書
妙密上人御消息
此等を以て思ふに便宜ごとの青鳧五連の御志は日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、国中の諸人一人二人乃至千万億の人題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、其の功徳は大海の露をあつめ須弥山の微塵をつむが如し


(通解)これらのこと(日蓮大聖人が法華経に説かれた通りの大難を受けて、法華経の題目を弘めていること)から考えてみると、あなた(妙蜜上人)が便りのたびに青鳧五連の御供養を送ってくださるその真心は、日本国に法華経の題目弘められる人に相当するものである。
 国中の人々が、一人、二人、そして千万億の人が題目を唱えるならば、思いがけなくもその功徳があなたの身に集まることであろう。その功徳は、須弥山が塵を積むようなものである。
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