2011年12月11日

摂受と折伏

摂受と折伏について、疑問がわいていました。 そうですね、折伏に挑戦しはじめてから『仏法は摂受折伏時によるべし』との御文から、今は本当に折伏なのかとの疑問から迷っていました。それから迷いつつ進んできましたが、今はっきりしました。
摂受とか折伏とか研鑽する上ではもちろん考えることも必要だとは思いますが、苦しんでいる人、悪影響を及ぼすような人を目の前に、摂受か折伏かなんて考えるわけもない。相手をおもう気持ちから湧き出る一念で真剣に誠実に語ってしまっているそのものがすでに折伏なんですよね。 
気づかせてもらった同志に感謝です。

修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし

とてもかくても法華経を強いて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり
posted by 元 at 02:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 折伏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
元、速水長三郎です。
名前とブログ変えましたのでお知らせに参りました。

非公開で御願い致します。
Posted by 河越武蔵守頼重 at 2011年12月17日 01:36
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