2009年09月04日

9月度 拝読御書

四菩薩造立抄

【本文】

 総じて日蓮が弟子と云つて法華経を修行せん人人は日蓮が如くにし候へ、さだにも候はば釈迦多宝十方の分身十羅刹も御守り候べし
(御書P989)


【通解】

 総じて日蓮の弟子と言って、法華経を修行する人々は、日蓮のようにしなさい。そうするならば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹女も必ず守護されるであろう。


【背景と大意】

 本抄は弘安2年(1279年)5月、日蓮大聖人が身延から下総(千葉県北部一帯)の門下の中心である富木常忍に送られたお手紙です。
 前半は、地涌の菩薩の上首である四菩薩(上行、無辺行、淨行、安立行)の像が造立されたのはいつか、という質問に対する答えです。
 大聖人は、末法の一切衆生を救うための本尊を、法華経の虚空会に基づいて図顕されます。虚空会とは、南無妙法蓮華経を象徴する宝塔を中心に虚空で行われた説法のことです。久遠の師匠である釈尊は、久遠の弟子である地涌の菩薩を、この虚空会に呼び出し、滅後末法の妙法流布を託します。大聖人は、虚空会で明らかにされた、妙法を根本とする久遠の師弟を本尊に図顕され、法華弘通の旗印とされたのです。
 本抄では、こうした本尊の深義を理解される一段階として、末法の今こそ、地涌の四菩薩を脇士とする本門の教主釈尊が造立される時であると教えられています。当時としては、これだけでも、仏教史上、前代未聞の法門だったのです。さらに、大聖人は、こうした本尊を顕す御自身こそ上行菩薩の再誕であり、仏法の次元から見れば「一閻浮提第一の富める者」であると仰せになります。
 後半では、迹門無得道という己義を唱える一部の門下を戒められ、大聖人の弟子であるならば「日蓮が如く」修行していかねばならないと、師弟不二の信心を教えられます。



仏法の根本は師弟

 偉大な師匠を求め抜いてこそ、自身の偉大な可能性も開かれてきます。
 本抄御執筆の当時、富木常忍の近くに、法華経の法門について、師匠である日蓮大聖人とは異なる、自分勝手な考えに陥った弟子達がいました。このことを深く心配された大聖人は、本抄を送り、日ごろ自らが富木常忍に懇切丁寧に言い含めているように、富木常忍が人々を教え諭していくように指示されます。
 そのうえで、弟子の信心の根本姿勢について、大聖人の弟子と言って法華経を修行する人々は、大聖人の如くしていきなさいと指導されます。
 人間は、自分一人では、なかなか自分の壁を破ることはできません。気づかないうちに、いつの間にか、慢心や自己不信、また臆病や惰性に陥り、自ら成長の可能性を閉ざしてしまいます。
 しかし、師匠を求めぬく人生に行き詰まりはありません。広宣流布の師匠は、あらゆる人々が不幸を乗り越え幸福を勝ち取れるよう、闘争を続けています。その師匠と一念を連動させていけば、自身の壁を打ち破って、思ってもみなかったような大境涯を開いていけるのです。
 本抄では、続けて「そうあってこそ、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・諸天善神も加護するに違いない」と仰せです。諸仏諸天の加護といっても、要は、自身を取り巻く一切を、勝利へ勝利へと生かしていく偉大な生命力にほかなりません。
 この勝利の力を開く師弟不二の大道を現代に蘇らせたのが、創価学会の三代の会長です。
 池田名誉会長は語っています。
 「仏法の根本は師弟である。師匠に心を合わせる。師弟の熱き魂を叫び抜いていく。そうすれば、もっともっと力を発揮できる。変わっていける。すべて『心』で決まるのだ。気取った、増上慢の一念ではだめだ。師匠に対して、『きょうも、新しい勝利の道を開きました!』と毎日、報告するような気持ちで戦うことだ」
 さあ、創立80周年を目指し、「青年・勝利の年」の後半戦も、自身のフロンティアに勇敢に挑戦していきましょう。



2009-9 大百蓮華 No716
posted by 元 at 21:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 座談会御書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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