2009年06月26日

7月度 拝読御書

弥三郎殿御返事

【本文】
 但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ・是こそ勢多を渡せし所よ・名を揚るか名をくだすかなり
(御書P1451 10〜12行目)

【通解】
 ただひとえに思い切りなさい。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、今まで生きながらえてきたのは、このこと(今回の法論)にあうためである。
 この戦いこそ宇治川を渡すところであり、この戦いこそ勢多川を渡すところである。勝利して名を上げるか、破れて名を下すかの境目である。

【背景と大意】
 本抄は、建治3年(1277年)8月、日蓮大聖人が、弟子の弥三郎に対して、法論に臨む心構えについて御指南されたお手紙です。
 弥三郎について詳細は明らかではありませんが、本抄から、念仏僧と法論する信心と教学を備えていたこと、所領を持っている身分であったことなどが窺えます。このころ、各地の弟子たちは、信仰ゆえに厳しい迫害に晒されており、大聖人は、弟子達を守ろうと、四条金吾のために「頼基陳情」を、因幡房日永のために「下山御消息」を執筆されています。弥三郎も、所領を失うような危機を覚悟しつつ、念仏僧との法論に臨むことになったのです。
 大聖人は本抄で、日本国の人々が、主師親の三徳を具えた釈迦仏を差し置いて、一徳もない阿弥陀仏を信仰しているゆえに、飢饉・疫病等の大苦を招いていたのであり、その真実を訴えてきた大聖人の恩に報いるべきところを、流罪・死罪に処するとは転倒と言うほかないと、法論の場で述べるよう指示されています。さらに、今まで生きながらえてきたのは、この法論のためであり、どのような難があろうとも信心を貫き通すよう教えられています。


勝てば一切が開ける
 人生においても、広宣流布においても、その運命を決する勝負所というものがあります。
 しかし、生死を分かつような厳しい勝負を前にすると、臆病や逡巡や執着など、さまざまな迷いが生じてきます。何よりも大切なのは、まず「断じて勝つ」と腹に決めることです。そして「勝つために、やれることはすべてやりきろう」と、全力の行動に打って出ることです。
 日蓮大聖人は、法論に臨む弟子の弥三郎に「ただひとえに思い切りなさい」と教えられています。迷いがあれば、出るはずの力も出ません。同じ戦うなら、きっぱり迷いを断ち切って、大胆に敵に攻め込んでいくことです。
 本抄御執筆の建治3年(1277年)といえば、国中に疫病が大流行した年です。蒙古襲来の不安もあり、世情は騒然としていました。多くの人々が無惨に死んでいきました。弥三郎が、その一人になっても不思議はありませんでした。
 大聖人は、弥三郎に「多くの人々が死んだのに、今まで生きながらえてきたのは、この法論にあうためであった」と覚悟を促されています。
 私たちが、この世に生まれてきたのは、末法の一切衆生を救う広宣流布を誓願したからです。その運命を決する勝負に挑むのは、自身の誓願を果たす千載一隅の機会にほかなりません。
 「宇治川」「勢多」というのは、京都防衛の要衝でした。この川を渡れるかどうかが、都に攻め上る軍勢の勝敗を決定づけたのです。こうした勝負所で、戦い勝てば、自身の境涯も、広布の前途も洋々と開けていきます。戦った人の名前も、永遠に広布の歴史に輝いていきます。
 池田名誉会長は語っています。
 「仏法は勝負である。人生も勝負である。負ければ悲しい。勝てば喜びがわく。福運がつく。時代も、いい方向に向かっていく。勝利は自信を生む。その自信が更なる勝利を呼び寄せる。困難も、障害も、すべて乗り越え、痛快なる前進をしてまいりたい」
 さあ、我が使命の舞台で、痛快なる勝利劇を演じきっていきましょう。

2009-7 大百蓮華 714
posted by 元 at 00:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 座談会御書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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