2009年03月01日

佐渡御書 9

 これはさてをきぬ日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等が念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし、修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし。
 南無妙法蓮華経。
 文永九年太歳壬申三月二十日            日蓮花押   日蓮弟子檀那等御中

  佐渡の国は紙候はぬ上面面に申せば煩あり一人ももるれば恨ありぬべし此文を心ざしあらん人人は寄合て御覧じ料簡候て心なぐさませ給へ、世間にまさる歎きだにも出来すれば劣る歎きは物ならず当時の軍に死する人人実不実は置く幾か悲しかるらん、いざはの入道さかべの入道いかになりぬらんかはのべ山城得行寺殿等の事いかにと書付て給べし、外典書の貞観政要すべて外典の物語八宗の相伝等此等がなくしては消息もかかれ候はぬにかまへてかまへて給候べし。
(御書P960・17行目〜P961・11行目)


(通解) このことはここでは置いておく。それよりも、日蓮を信じているようであった者たちが、日蓮がこのような身になると疑いを起こして法華経を捨てるだけではなく、かえって日蓮を教え諭して自分は賢いと思っている。こうした愚か者たちが、念仏者よりも長く阿鼻地獄にいるであろうことは不憫としか言いようがない。
 阿修羅が「仏は十八界だが私たちは十九界である」と言い、外道が「仏は一究竟道だが私は九十五究竟道である」と言ったように、「日蓮御房は師匠ではいらっしゃるがあまりにも強引だ。私たちは柔らかに法華経を弘めよう」などと言っているのは、蛍火が太陽と月を笑い、蟻塚が崋山を見下し、井戸が川や大河や海を侮り、鵲が鸞鳳を笑うようなものである。

 南無妙法蓮華経。
 文永九年太歳壬申三月二十日            日蓮花押   日蓮弟子檀那等御中

 佐渡の国は紙がないうえ一人一人に手紙を差し上げるのは煩わしく、また一人でも洩れれば不満があるでしょう。この手紙を志のある方々寄り集まって御覧になり、よく思索し心を慰めてください。世間でも、大きな歎きが起これば、小さな歎きはたいしたことではなくなるでしょう。この度の合戦で亡くなった人々は、謀反が事実か事実でないか置いておくとして、どれほど悲しいことでしょうか。いざわの入道、さかべの入道はどうなったのでしょうか。かわのべ山城得行寺殿などはどうなったのか書き記して知らせてください。
 外典の書物である貞観政要をはじめ、外典の物語、八宗の相伝書など、これらがなければ手紙も書けないので、どうか必ず送ってください。

posted by 元 at 22:56| Comment(2) | TrackBack(0) | 御書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
いつもほんとうにありがとうございます。
本当に奥の深い御文ですね。

わたしも、頑張ります!
Posted by きぼう at 2009年03月02日 17:03
コメントありがとうございます。佐渡御書を今回学んで、創価学会の信心すべてが入っているといっても過言ではないと感じ考えさせられました。共々学んで成長したいですね^^これからも宜しくお願いいたします!
Posted by 元 at 2009年03月02日 17:48
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