2009年02月18日

佐渡御書 4

 般泥(オン)経に云く「当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん当に知るべし此等は皆是今日の諸の異道の輩なり」等云云、此経文を見ん者自身をはづべし今我等が出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なりと仏記し給へり、法然が一類大日が一類念仏宗禅宗と号して法華経に捨閉閣抛の四字を副へて制止を加て権教の弥陀称名計りを取立教外別伝と号して法華経を月をさす指只文字をかぞふるなんど笑ふ者は六師が末流の仏教の中に出来せるなるべし、うれへなるかなや涅槃経に仏光明を放て地の下一百三十六地獄を照し給に罪人一人もなかるべし法華経の寿量品にして皆成仏せる故なり但し一闡提人と申て謗法の者計り地獄守に留られたりき彼等がうみひろげて今の世の日本国の一切衆生となれるなり。
(御書P958・16行目〜P959・5行目)



(通解) 般泥(オン)経では次のように説かれている。「来るべき世に、形ばかり袈裟を着て、仏法の中において、出家し仏道を志しているようでも、修行をなまけて精進せずに、これらの大乗経典を誹謗する者があらわれるだろう。これらの者はまさに、今日の、仏法に背く者たちと知るべきである」と。
 この経文を見る者は自身を恥じるべきである。今の末法の僧たちのように出家をして袈裟をかけながら修行をなまけて精進しない者は、釈尊と同時代の六師外道の弟子であると、仏は書き残されているのである。 法然の一派と大日房能忍の一派は、それぞれ念仏宗、禅宗と称している。念仏宗は法華経に「捨てよ・閉じよ・閣け・抛て(捨閉閣抛)」の四字を加えて正法を捨てさせ、権経の阿弥陀如来の名を称える修行だけを主張している。また禅宗は「釈尊の悟りは経文とは別に伝えられている(教外別伝)」として、法華経は月を指す指であり、法華経を読むのはただ文字を数えているようなものにすぎないなどと笑っている。こうした者たちは、六師外道の流れを汲む者が仏教の中に現れてきたものである。
 なんと嘆かわしいことだろうか。涅槃経では仏が光明を放って大地の下、百三十六の地獄を照らした時、罪人は一人もいなかった。法華経の寿量品でみな成仏したからである。ただし、一闡提人といって謗法の者だけは地獄の番人によって留められていた。彼らが源となって広がり、現在の日本国の一切衆生となっているのである。



捨閉閣抛(しゃへいかくほう)
posted by 元 at 00:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 御書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 お疲れ様です。親父は「心不全」で他界してしまいました。 2/17:修善寺由緒ある新井旅館から老人ホームへ出向してる最中の当時、デイ・サービス業務に慣れた頃【住宅改造・介護機器担当職員研修会】参加し、我が国の高齢社会の不認知さを痛感しました・・【サラリーマン編】 、今回は、可愛いニャンコ写真と研修会写真を。存分に楽しんで見て下さい。 <m(__)m> コメント等いただけたら幸いです。 遊びに寄ってやって下さいね。待ってますです。尚、自分の【学生編】当過去ブログにも、当時の写真・面白い・可愛い・画像・動画ありますので、時あれば、楽しんで見てやって下さい。 
Posted by 智太郎 at 2009年02月18日 15:09
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