2008年12月31日

急告 あの山崎正友が急死

【『フェイク』第990号 2008-12-30】

 山崎正友が12月29日午後4時半過ぎに急死した。この日午後、神奈川県厚木市愛名の自宅で倒れ、東海大学病院に緊急搬送されて救命救急センターで治療を受けたが、その甲斐もなく息を引き取った。享年72歳。遺体は変死者として扱われ、警察で検屍されたということである。
 通夜・告別式などの日程は未定だが、年末年始の火葬場の都合などを考えると、直ぐに荼毘に付すことも出来ないようだ。仏法上でも、社会的にも空前絶後の極悪人にふさわしく、死後も象徴的な厳しい仏罰の醜態を晒すことになる。
 山崎は、これまで何度も死にかけたことはあるが、第一次宗門事件で陰謀の片棒を担いだ原島嵩が7月6日に全身から悪臭を放って死亡した後を追うように半年を経ずして無間地獄に堕ちたのである。
 山崎はC型肝炎から肝硬変を患い、糖尿病を併発して腎不全になり、人工透析を続けていた。晩年は裁判地獄に陥って負け続け、今月25日にも北林芳典氏(報恩社社長)に訴えられていた件で、東京高裁において敗訴したばかりだ。
 最近では痩せ細って首筋の肉も落ち、体力は衰えて、裁判所にも女房の運転する車で通っていたが、遂に悪運が尽きたのである。
 山崎の犯罪、悪事を挙げると巨額の詐欺罪、商法違反、手形法違反罪、富士宮市議の殺人依頼、創価学園の撹乱等々、枚挙に暇がないが、何と言っても代表的な犯行は実刑判決を受けた恐喝と恐喝未遂事件である。
 昭和60年3月26日、東京地裁刑事第三部の吉丸真裁判長は、山崎に対して「被告人を懲役3年に処する。未決勾留日数中120日を右刑に参入する。訴訟費用は全部被告人の負担とする」との厳しい判決を言い渡した。この第一審判決から六年後の平成三年一月、最高裁の上告棄却の判決をもって山崎の刑が確定。2月25日に東京拘置所に収監されたのであった。

創価大道より転載
http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20081230/p2
posted by 元 at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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