2008年12月12日

中道論

中道論
(1)ブッダの中道の教え
ブッダは、二つの極端な生き方を避けよと中道の道について次のように述べています。
「比丘たちよ、出家者はこれら二つの極端に近づくべきではない。二つとは何であるか。一つは、種々の欲望において欲楽に耽(ふけ)ることであり、それは下劣で、卑しく、世俗の者の行いであり、高尚でなく、ためにならないものである。他の一つは、自ら苦行をなすことであり、それは苦しみであり、高尚でなく、ためにならないものである。比丘たちよ、如来(にょらい)はこの両極端に近づかないで中道をさとったのである」野々目了訳「四つの聖なる真理(四聖諦)」(『原始仏典 第6巻 ブッダのことば4』)、講談社、1986年
(2)中道についてのサルカールの説明
サルカールの言葉では、欲望にふけることはアヴィディヤーです。苦行・修業をしてゆくことはヴィデヤーです。サルカールは、心がスピリチュアルな意味での中心点に向う精妙化の運動をヴィデヤーと言います。反対に心が物質世界に向っている粗大化の運動をアヴィディヤーと言います。心は念じるものに近づきますから、スピリチュアルな中心点である普遍意識(パラマ・プルシャ)を念ずれば精妙化してゆきます。そして物質でてきた偶像を念じたり、お金を念じたり、この世での名声を念じたりすれば、心は粗大化してゆきます。それがアヴィディヤーです。
サルカールはこの両方のバランスをとって進みなさい。どちらか一方に進むことは闇に向って進むことですと言いました。この点では、ブッダが世俗の快楽でもなく、苦行でない道を進みなさいと述べていることと同じです。
したがって中道とは、ヴィディヤーとアヴィディヤーのどちから一方に進まず、それらのバランスをとって進んでゆく道と解釈できます。しかし、サルカールの「中道」の説明によれば、そうではありませんでした。
サルカールによれば、ヴィディヤーとアヴィディヤーの両方を超越した状態に達する道が中道です。すなわちより高い、あるいはより深い存在領域(ローカ)に達する道が中道です。より高い在領域に到達するという根本を忘れて、日々の俗的生活、あるいは瞑想をしても時間の無駄ですよと言うのです。

八正道
ブッダは、彼の「中道」の中身を八正道として具体的に次のように説明しています。
「中道とは何であるか。実にそれは八つの聖なる道(八聖道)である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しいことば、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい念い(おもい)、正しい精神統一である。比丘たちよ、これが実に如来がさとった中道であり、眼を生じ、知を生じ、寂静・神通・正しい覚り・涅槃に導くものである」野々目了訳「四つの聖なる真理(四聖諦)」(『原始仏典 第6巻 ブッダのことば4』)、講談社、1986年
八正道は、「正見、正思, 正語、正業、正命、正精進、正念、正定」としてお経の本に出てきます。サルカールによれば、八正道は、生きている一般の人向けのブッダの教えです。

http://www12.ocn.ne.jp/~kitsumi/member/mitsuki/buddhasarkar3.htmより転載


中道とはより高い次元のものだとは思いませんでした。池田先生が仰る中道とはこれ以上のことなのか?深く研鑽してまいります。
posted by 元 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 中道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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