2050年11月18日

ようこそ!我がブログへ

人間主義の旗を掲げるべく御書 日蓮仏法 を学び 自己研鑽し人間革命と宿命転換し世界平和を実現していきたい。

◇私の師弟の原点

41coByQhXlL__SS500_.jpg

この本は我が師匠である池田先生から激励で頂きました。
私は創価学会や宗教が嫌いだった理由の一つが宗教間の争いでした。宗教があるから戦争が起こると、実際昨今の9.11テロもイスラム教vsキリスト教であり戦争の影には宗教があると。
しかしこの対談集には宗教間を越えた対談が繰り広げられていました。
今ままでの考え方を払拭するものでした。まさに現代のさまざまな問題を解決できるもの、それはまさに人間主義しかないと痛感しました。
宗教観を大きく変えた一冊であると断言いたします。


この本の紹介
posted by 元 at 00:00| トップページ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月11日

摂受と折伏

摂受と折伏について、疑問がわいていました。 そうですね、折伏に挑戦しはじめてから『仏法は摂受折伏時によるべし』との御文から、今は本当に折伏なのかとの疑問から迷っていました。それから迷いつつ進んできましたが、今はっきりしました。
摂受とか折伏とか研鑽する上ではもちろん考えることも必要だとは思いますが、苦しんでいる人、悪影響を及ぼすような人を目の前に、摂受か折伏かなんて考えるわけもない。相手をおもう気持ちから湧き出る一念で真剣に誠実に語ってしまっているそのものがすでに折伏なんですよね。 
気づかせてもらった同志に感謝です。

修羅が仏は十八界我は十九界と云ひ外道が云く仏は一究竟道我は九十五究竟道と云いしが如く日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべしと云んは螢火が日月をわらひ蟻塚が華山を下し井江が河海をあなづり烏鵲が鸞鳳をわらふなるべしわらふなるべし

とてもかくても法華経を強いて説ききかすべし。信ぜん人は仏になるべし、謗ぜん者は毒鼓の縁となって仏になるべきなり
posted by 元 at 02:35| Comment(1) | TrackBack(0) | 折伏 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月06日

パソコン

今年の夏の終わりごろ、今まで使っていたPCが不調になりました。 症状はといいますと、気分で固まる、ケツが重い、言っても言うことを聞かない、youtubeが紙芝居ばりに途切れる、ハードディスクからの異音などなど・・・。

この際、壊れる前に自分でつくろうとおもいたち、自作してみました(笑)。

感想をいえば、大変でした。

基本的に無知な衆生ですのでそれはそれはもう苦難の連続でしたよ。このままいくと部品代がむだになってしまうかもと、いやーな予感もありつつ、なんとか完成しました。

知ってしまえば簡単なんですね。

ふと、パソコンって人間に似ているなと思いました。 

例えば、マザーボードによって出来る限界があります。 これは人間が飛べないように、構造的な限界があります。CPUによって処理スピードの速さが違います。頭の回転の速さ、走る速さなどCPUのよっての違いは機能としての能力でしょうか。それから、メモリは瞬間記憶的な要素。ハードディスクは記憶をつかさどり、グラフィックボードはイメージを描く才能的なものだったりします。 
生命力は電源のワット数ですかね。 モニターは思考や心の状態を映しだすものだったりします。OSは文化や言語といった国土世間みたいだったりします。

いやー大変勉強になりました。

posted by 元 at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月03日

感謝

久しぶりのブログ更新です。 更新も無きブログにコメントくださった方々、閲覧してくださった方々には大変申し訳ないおもいです。

私自身、修業の旅に身を投じ滝に打たれ、座禅を組み、火の付いた薪の上を歩き悟りを得て帰って来ました(ウソ)。

男子部最後の戦いに没頭していました。 私が卒業した後、関わっていたメンバーさんたちが折伏を決めています。三世帯も。 しかも卒業の折に、私の縁した人達から激励のコメントを書いたアルバムをプレゼントしていただけました。泣きました(決して人前ではありません。ご本尊の前でひとりでですよ)いただいたその時は、こんだけできるんだったら本幹結集はもっとできるだろ?と文句をいいましたが。
まー、偉そうなこと言っていますが、完全にハッタリです。

ですが、彼らに教えられました。たくさん。 

感謝できないことは問題ではないのです。 感謝を感じるのに、早く感じる人もいれば、なかなか感じない人もいます。 感謝は強要するものでもなく自然と感じるものです。それを自分の価値観で判断してしまうことはとんでもないことだと思います。っていうか、私がそうでした(汗)

それから、生命って悪く思う生命もあれば、よく思う生命もあります。ですが、否定することはできないのです。どんな人にも一念三千があることを理解することが大切だと思います。他者と変わらないところを着目するべきだと思います。強く出る生命が個性でもあるし、その強く出る生命を殺そうとする働きが社会や組織、道徳、価値観にあるということは認識すべきだとおもいます。 型にはまらない自由な、そして個性を発揮できる環境の構築が今の私の課題です。

まー、頑張ります。 目標は怠惰な私でも続けるが目標で。 
posted by 元 at 02:09| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月02日

脈動

 師の意図に叛く考えはさらさらないものの、師の意図をただ教条的にしか理解しない。そこで厳しい現実に直面すると、周章狼狽して師の意図を生のまま機械的に同志に押し付けて事足れりとするか、あるいは師の意図が気になりつつも、直面した現実を特殊な場合として、浅薄な世間智をはたらかせて現実に適合しようと焦る。ここにいたって、師弟の脈動が断たれていることに気がつかない。まことに師の考えるところと、弟子が懸命に考えることとが冥合するとき、信仰の奔流は偉大なる脈動となって迸る。師の意図にただ追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。師の意図からその根源にまで迫って、その同じ根源を師とともに分かち合う弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不二の道の一切がかかっているのである。
−小説 人間革命 10巻 「脈動」−より



私たちの目標とは何であるか。師に応えようと目標を打ち出し達成しようと試みる。私たちは日々の戦いの渦中、数の目標で応えようとする。数という目標の中にあるはずの本質が歪められ本来素晴らしいはずのものが切羽詰まり、それを皆に強要してしまい価値を低下させていく。そうなってしまったときに目標がノルマ化する。その行為が意識の少ないメンバーに抑圧や葛藤を根付かせる。師に応えようと、師を利用する。自身の力の無さを顧みずに。保身や権力の魔性、利己的な思考が師弟をドグマ化する。誓願を打ち立てるのは自身である。同志だからといっても師弟観は個々の問題である。決めるのは各自である。数字を安易に下ろすのは愚劣極まりない。それは自身でやるべき数字だ。メンバーに戦わせようなんて考えるとしたら傲慢ではないのか。人をコントロールすることがどれだけ卑劣な行為かよくよく心したい。師に学ぶべきは心だと思う。その心から発した行為や言霊が人々の心を灯し志を一つにできるのではないか。そのなかで苦悩しもがき、他人の築いた道ではなく、自身で築き切り開いた新たな王道を創りゆくのが師弟の道であると確信する。
posted by 元 at 16:41| Comment(10) | TrackBack(1) | 師弟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

SGIの「師弟の絆」




SGIの「師弟の絆」

取材者(編者:註)ー実際に創価学会•SGIのメンバーを取材されて、仏教に対して、どのような印象を持たれましたか。池田SGI会長をどのような人物だと思うようになられたのでしょうか。

ストランド これまでの創価学会との関係を振り返ると、数年の間に私の考えが大きく変わってきたことが分かります。
私は元々、禅宗の修行を積み、僧侶(教師)の資格も得ており、仏教の信仰を「座しての瞑想」としてとらえがちでした。これは、大部分の西洋人が仏教に対して抱いている偏見です。西洋における多くの仏教は、古代の僧院スタイルを踏襲していますが、家庭を持ち、長時間の仕事に励む在家の仏教徒にとって、長時間の瞑想修行などは日常生活から隠遁する環境下でなければ不可能です。
私が創価学会の信仰を体験して学んだことは、仏教の信仰には瞑想以外のやり方があるということです。創価学会の信仰活動は、より進化した形の実践法であるだけに、現代人の生活スタイルに、よりマッチしていて、効果的だということです。これから創価学会に触れる方々も、そのことをきっと理解するでしょう。
二つ目に、仏教に関心を抱く西洋人の多くと同様に、私も権威主義的な信仰モデルを教え込まれました。そこでは、師匠と弟子との関係は上位下達式で、絶対服従が基本です。しかし、弟子が師匠から得るものは少ないのです。しかもアメリカでは、こうした権威主義モデルでさえも、きちんと務めを果たせている仏教界は、1979年代から幾度にもわたる僧侶のスキャンダルで揺れに揺れてきました。アジア人僧侶と、その後を継いだアメリカ人僧侶が、衣の権威を利用し、繰り返し信者の信頼を裏切ったのです。
私が初めて創価学会に出あった時、(参加者が平等に語り合う)座談会や、会員同士の人間関係•連帯感を重視するのを見て、「誰も上に立つ人がいなくて大丈夫かな」と思いました。しかし時間が経つにつれ、地域社会に根ざした在家のリーダーシップの形を見て、この方がずっと健全で、安定正のある信仰の在り方だと思うようになりました。
三つ目に、アメリカの仏教では上位下達式の権威主義的モデルが蔓延していたため、当初、私は、池田SGI会長を信者に絶対的忠誠を求めるカルト教祖的な人物としてイメージしがちでした。
しかし、創価学会の目的は、戸田第2代会長の有名な「学会は、人材をもって城となすのだ。断じて、人材の城を築くのだ!」との言葉にあるように、陸続と人材を育成し、世界に広宣流布を進めることにあります。西洋には学会のような仏教団体が皆無であったため、理解するのに時間がかかりましたが、アメリカと日本でメンバーと直接触れ合うなかで、私の中の偏見は解消されました。
私は、創価学会の「師弟」と仏教宗派の「師弟」の違いが、社会に向けてまだ十分に説明されていないと感じています。学会の皆さんの「師弟の絆」
は、誤解されて社会で認識されていないるのです。学会のリーダーにはそのことを理解して、一段と説明の努力を担っていただきたいと願っています。

大白蓮華 NO725 2010年6月号
P83-84より抜粋


※宗教ジャーナリスト
クラーク•ストランド氏
(アメリカの著名な仏教研究家。アメリカを代表する仏教誌「トライシクル」の元編集長)

posted by 元 at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 師弟 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月01日

誓い

 尊敬している方から叱咤激励をいただいた。 とても痛かった。 私自身の信心の姿勢を正してくれた。

 師匠への誓願。誓いは変わらないものだ。私は期間限定の誓いしかしていなかったから、その戦いが終わってしまえば消えてしまう誓いだった。それは誓ではなかった。願望程度のものだった。

 永遠の誓いを一つ決めた。この誓いを一つずつふやしていくことが信仰なのかもしれない。

 ありがとうございます。 拝謝。
posted by 元 at 14:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 祈り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月09日

正義について

 今の社会の正義は「金」である。これは間違いないことだ。資本主義社会の中で企業が権力者である。そして民衆は企業の奴隷と化している。 
 
 産業革命以来私たちは生活の豊かさを求め大量生産し、大量消費してきた。心の豊かさをかえりみず。そして弱者から利益を奪い取る。正義の名のもとで戦争が正当化されている。罪なき民衆の命が苦しみと共に消えていく。

 正義とは何だ。正義より大切ではない命がどこにあるのだ。自分たちの正義など偽物である。正義という言葉の裏には必ず排他的意識が潜む。それを打破できる正義があるのだろうか?
posted by 元 at 15:17| Comment(2) | TrackBack(0) | 人間主義 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

「やる気」が出るコツ、続くコツ 和田裕美


「やる気」が出るコツ、続くコツ―わかっているけど動けないあなたへ

「やる気」が出るコツ、続くコツ―わかっているけど動けないあなたへ

  • 作者: 和田 裕美
  • 出版社/メーカー: ダイヤモンド社
  • 発売日: 2010/05/28
  • メディア: 単行本





なんでもいいから「動く」のです。
(中略)
その一歩が、電源を入れるスイッチになります。電源を入れてエネルギーが回れば、どんなものでも動きます。そして熱を発散するのです。
同じように身体は動くと熱くなります。心も同じなのです。
やる気が出てから動くのではなく、動くからやる気は生まれるのです。

【「やる気」が出るコツ、続くコツ 和田裕美】
posted by 元 at 02:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 勇気 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月11日

奇跡の地球物語〜近未来創造サイエンス〜

第6回 「天才 脳に秘められた無限の可能性」2009.11.08放送

ダビンチ、モーツァルトからアインシュタイン、ピカソまで、類まれなる才能を持った人物を我々は“天才”と呼ぶ。
科学・芸術・スポーツなどあらゆる分野で幾多の進化を遂げてきた人類――その牽引者たる天才が出現しなかったら、今の社会は生まれていなかったかもしれない!?
石川遼とモーツァルト。
2人の天才には、ある共通点があった。
それは幼少期に英才教育を受けたこと。
今でこそ、注目されている英才教育、それは脳にどのような影響をあたえるのか。
ある脳科学者によると、「脳には 、能力を獲得するために、学習能力が飛躍している時期“感受性期”が一生のうち一度だけある。
その時期、適度な刺激を与える事で、脳は驚異の発達を遂げる。
」という。
感受性期は使われる脳の部位によって異なり、例えば絶対音感を身に付けられるのは3歳から6歳頃までと言われている。
天才と“脳の感受性期”には確かに密接な関係がある。
しかし、才能の飛躍はその時期に限られた事なのか?
 実は、この世には“神業”ともいうべき技術をもつエキスパート達が 存在することも忘れてはならない。
彼らは晩年に才能を開花させてきた人達も多い。
人間の感覚を研ぎすませると、一体脳の中には何が起こるのか。
ルービックキューブの達人と普通人の脳の反応の違いを調べると、脳のある一カ所の部分にその違いが現れた。
達人の脳だけ「視覚前野」という呼ばれる目から入った情報を処理する部分が反応していた。
どれを動かそうとは考えず、見た瞬間に次の動かし方が分かる、そんなネットワークが脳に作られていたのだ。
20歳からルービックキューブを始めた達人の脳に変化をもたらしたのは、経験。
大人になってからも、経験やイメージが脳の可能性を広げていくのである。
毎日の生活の中で、興味を抱くこと、夢中になること、経験を積むこと、想像力を働かせること・・・
そんな全てが脳に秘められた無限の可能性を広げていくのだ。

奇跡の地球物語〜近未来創造サイエンス〜
posted by 元 at 01:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へスカウター : 人間主義の旗を!